ある医療関係者の方と話した。私のあまりの間抜けさが原因で、その方にご迷惑がかかるといけないので、誰かというのは伏せさせていただく。
「新型インフルエンザのワクチンが、出荷されることになりましたね」
「はい。そのようですね」
「ふゆうさんは、接種開始時期や接種を受けられる医療機関について知っておくほうがいいですね」
「
なんでですか?」
「
・・・喘息なんですよね?」
「あ!!!」
言い訳めいてしまうけれど「自分が病気であることを忘れて生活できる」というのは、本当に幸せなことだと思う。同じ病気の人が、医療の発達していない時代や国に生まれていたら、生命の危ぶまれるような状況に置かれていたかもしれない。それを「服薬をする」「通院をする」ということだけで、回避できることは、本当に幸せだと思うのだ。
ただ「病気である」ということを意識するのは、「人よりも生活上の注意が必要で、それを怠った場合に大事につながってしまう」というとき。
たとえば「掃除をサボって埃が落ちていた」ということだけで、喘息発作になって気管支拡張剤の吸入をお願いしなければならない、という事態になったとき。
たとえば「このくらい大丈夫だろうと、アレルゲンを料理の材料としてつかわれてしまい、じんましんなどの症状が出た」という場合。
自分が苦しいということもあるけど、自分が苦しいことで、周りの人をも悲しませてしまう。それが、病気というものの持っている「悲しさ」なんだろう。
その悲しさが嫌で、普段は「なんでもない」という風に振舞おうとしちゃうんだよな。
喘息以外にも、何らかの基礎疾患がある人は、新型インフルエンザに感染すると、症状が重症化する可能性があるといわれている。でも現実問題として、ワクチンが行き渡るには時間がかかるわけだし、マスクをつけることも「100パーセントの感染予防効果はない」とされているそうだ。
手洗い・うがいなどをできるだけ行うことと、自分自身の免疫力を高めておくことが大事だろうと思う。
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