「大きな波に流されるのでも、逆らうのでもなく、波に乗って進みなさい」と、教えてくれたのはあなたでしたね。
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K先生が「手術から10年経ったね、おめでとう」と言ってくださった。
K先生を紹介してくださったのは、K先生の同級生の先生で、初めから「内リンパ嚢開放術のため」の転院だった。K先生の初診の日に、JRが事故で止まったので、タクシーに乗ったのを憶えている。その日に、すぐに手術日を決めて、入院の予約をしていただいて・・・、という流れだった。私には大学院の都合があったので「今週中に入院」というような形にしてもらうわけにいかず、少し間があった。
最近「入院が決まっていますが、不安です」というメッセージをいただくのだけれど、私は不安になる暇もなく入院してしまったので、私はメッセージをくださる方の気持ちを、わかりきれていないのでは、と申し訳ない気持ちになる。
10年前、メニエール病もつらかったのだけれど、うつ状態や睡眠障害がもっともひどかったのもこの時期だった。
座禅やヨガをやっている人なら「瞑想」の経験がおありだろうと思う。良い瞑想状態を得るために、どれほどの努力が必要か、ということもご存知だろう。私にとってのうつ状態というのは、どれだけ頑張っても瞑想状態を抜け出せないような、空っぽとでも言うべき状態だった。
布団に横になっていると、シーツのシワしか見えないし、自分の心臓の音しか聞こえない。元気があると、そんな状態には耐えられなくて、ごそごそ動き出してしまうのだろう。うつ状態のときというのは、何十分でも、何時間でも、シーツのシワだけを見つめて、過ごせてしまう。決して「意識がない」のとは違って、シワの形状、肌触り、心臓の音もしっかりと意識していて、たまにメニエール病による激しいめまいを感じる。
ただそれだけで、苦痛も快楽も感じない時間が、延々と過ぎていったように思う。
入院するとき、個室か4人部屋かの希望を聞かれたのだけれど、「4人部屋がいい」と思ったのは、自分でも「こんな状態はもう嫌だ」「これ以上の孤独は嫌だ」「誰とも、うまくやれないかもしれないけれど、誰かの存在を感じていたい」という思いが、わずかながら残っていたのだと、思う。
ここからは、他人のプライバシーに関わることなので、ぼかして書くけれど、K先生に話していたことがある。「うまくいかない相手がいる。私の能力が低いから、その人がイライラして、メニエール病のことなども責め立てられるんだと思う」とK先生には話していた。
ところが、その人が見舞いに訪れてくれたのだ。その日は部長回診の日で、見舞いに来てくれたその人を、K先生が不思議そうに見ていたのを憶えている。
K先生にその人が誰であるか話すと、驚かれて「ふゆうちゃんの能力が低くて、イライラしているというのなら、見舞いに来ないよね。僕はふゆうちゃんの言い分しか聞いてないけど、なんか誤解とか、思い込みがあるのかもしれないよ」と言ってくださった。
実際、私の劣等感が強すぎて誤解・思い込みというのがあったのかもしれない、決してその人が私を悪く思っていたわけではなかったのだ、ということが、手術の1年後と2年後に起こった出来事によって、明らかになった。この経験は、今の自分がこのブログの運営をしたり、他の患者さんと接する機会があれば、積極的になれるという姿勢に、つながっている。
入院中に、初めての転換性障害を経験して、「病院から出るのは嫌だ」「誰かと接することはもう嫌だ」とK先生に話していた10年前の自分は、10年たった今の自分を、少しは褒めてくれるだろうか?
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