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普通の日はないんですか!?

「大きな波に流されるのでも、逆らうのでもなく、波に乗って進みなさい」と、教えてくれたのはあなたでしたね。

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10年前の今日、退院しました!!

入院日記 21日目
http://fuyuugoout.web.fc2.com/op/syujyutsu.html#21

入院日記は、今から5年ほど前(退院から5年後くらい?)に書いたものです。そのときも、退院から10年経った今も、下記の思いは鮮明におぼえています。

入院日記より・・・
私は入院するとき、鞄に詰めてきた荷物の他に、「不安」という荷物を背負ってきたのだなぁ、自分でその荷物を重くしていたのだなぁ、と思う。

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10年前の今日、手術を受けました。

K先生がお忙しい中何度も、声をかけてくださったのを、今もおぼえています。

入院日記 4日目
http://fuyuugoout.web.fc2.com/op/syujyutsu.html#4

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10年前の今日、入院しました。

私は当時24才でした。

メニエール病になりやすい年齢として「30代後半から40代前半がピーク」と言われています。そのためか、入院時の案内をしてくださった看護師さんが、「付き添いの身内(40代後半、女性)=入院する人」だと思ってたってことがありましたね。

懐かしいなぁ。。。

あれから今までに、コーヒーにかつお節を入れてくれる人は、片手の指で数えても余るくらいしか、いなかったなぁ。。。イソバイドの味が「想像よりはマシ」と言ってくれる人は、少しだけいたなぁ。。。使用済み蚊取りマットを貯める実験に、私と共に挑戦してくれる人も、いなかったなぁ。。。


【K先生へ】

10年前、内リンパ嚢開放術を受けさせてくださり、ありがとうございます。おかげさまで、生きることがとても楽しくなりました。

メニエール病の発作が続いて「こんな毎日から抜け出せる」なんて想像もつかなかったけれど、手術によって、抜け出すことができました。この経験は、人生の様々な場面で「もう駄目だ」と思っても、「何か道があるかもしれない」と考えられることにつながりました。

メニエール病になったことも、8年たって軽く再発させてしまったことも、色々なことを考える機会になり、今では「良かったこと」だと思えます。

K先生は10年という時間をかけて、今日という日をプレゼントしてくれたんですね。ありがとうございます。これからも、K先生からのプレゼントが、数多くの患者さんに届きますように!!

そして、患者さんの誰かが「K先生が『たかみぃ(アルフィー)』のようになってくれるなら、手術を受けてもいいかなぁ」と言ってくれますように。

勇気ある人へ
http://www.mypress.jp/v2_writers/fuyuu_no_mimi/story/?story_id=1961001 

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10年たった今の自分を、少しは褒めてくれるだろうか?

K先生が「手術から10年経ったね、おめでとう」と言ってくださった。

K先生を紹介してくださったのは、K先生の同級生の先生で、初めから「内リンパ嚢開放術のため」の転院だった。K先生の初診の日に、JRが事故で止まったので、タクシーに乗ったのを憶えている。その日に、すぐに手術日を決めて、入院の予約をしていただいて・・・、という流れだった。私には大学院の都合があったので「今週中に入院」というような形にしてもらうわけにいかず、少し間があった。

最近「入院が決まっていますが、不安です」というメッセージをいただくのだけれど、私は不安になる暇もなく入院してしまったので、私はメッセージをくださる方の気持ちを、わかりきれていないのでは、と申し訳ない気持ちになる。

10年前、メニエール病もつらかったのだけれど、うつ状態や睡眠障害がもっともひどかったのもこの時期だった。

座禅やヨガをやっている人なら「瞑想」の経験がおありだろうと思う。良い瞑想状態を得るために、どれほどの努力が必要か、ということもご存知だろう。私にとってのうつ状態というのは、どれだけ頑張っても瞑想状態を抜け出せないような、空っぽとでも言うべき状態だった。

布団に横になっていると、シーツのシワしか見えないし、自分の心臓の音しか聞こえない。元気があると、そんな状態には耐えられなくて、ごそごそ動き出してしまうのだろう。うつ状態のときというのは、何十分でも、何時間でも、シーツのシワだけを見つめて、過ごせてしまう。決して「意識がない」のとは違って、シワの形状、肌触り、心臓の音もしっかりと意識していて、たまにメニエール病による激しいめまいを感じる。

ただそれだけで、苦痛も快楽も感じない時間が、延々と過ぎていったように思う。

入院するとき、個室か4人部屋かの希望を聞かれたのだけれど、「4人部屋がいい」と思ったのは、自分でも「こんな状態はもう嫌だ」「これ以上の孤独は嫌だ」「誰とも、うまくやれないかもしれないけれど、誰かの存在を感じていたい」という思いが、わずかながら残っていたのだと、思う。

ここからは、他人のプライバシーに関わることなので、ぼかして書くけれど、K先生に話していたことがある。「うまくいかない相手がいる。私の能力が低いから、その人がイライラして、メニエール病のことなども責め立てられるんだと思う」とK先生には話していた。

ところが、その人が見舞いに訪れてくれたのだ。その日は部長回診の日で、見舞いに来てくれたその人を、K先生が不思議そうに見ていたのを憶えている。

K先生にその人が誰であるか話すと、驚かれて「ふゆうちゃんの能力が低くて、イライラしているというのなら、見舞いに来ないよね。僕はふゆうちゃんの言い分しか聞いてないけど、なんか誤解とか、思い込みがあるのかもしれないよ」と言ってくださった。

実際、私の劣等感が強すぎて誤解・思い込みというのがあったのかもしれない、決してその人が私を悪く思っていたわけではなかったのだ、ということが、手術の1年後と2年後に起こった出来事によって、明らかになった。この経験は、今の自分がこのブログの運営をしたり、他の患者さんと接する機会があれば、積極的になれるという姿勢に、つながっている。

入院中に、初めての転換性障害を経験して、「病院から出るのは嫌だ」「誰かと接することはもう嫌だ」とK先生に話していた10年前の自分は、10年たった今の自分を、少しは褒めてくれるだろうか?

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【参考に止めてください】手術説明・同意書について

内リンパ嚢開放術の同意書について教えて欲しい、というお問い合わせをいただくことが、時々あります。皆様のご参考になりましたら、幸いです。

あくまで「参考です」!! 主治医・執刀医の先生の説明を、最優先にお聞きくださいね!!

注意
1.他院の書類は形式が異なることも多いです
2・掲載されているデータの数値は変わることがあります
3.麻酔の方法が、現在では大きく変わっているので、塗りつぶさせていただきました

では、どうぞ〜!!

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