先ほどラジオニュースで、下記の内容を知り大変驚いた。
中川昭一元財務・金融相が死去
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/obituary/?1254618206何があったのか分からない(病死・事故死・自殺のいずれかも分からない)けれど、私は別のニュースを思い出した。それは老老介護の末に起こった殺人事件のこと。
介護していた夫に首を絞められた妻が死亡、殺人容疑で捜査/横浜
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091003-00000032-kana-l14実は昨日、闘病中であった父の知人が、天国へ旅立ったという電話があった。この間まで「あの人、どうしているかしら?」と話題に上っていた人だった。
ニュースに登場した方たちの死因・殺人動機などは、まだこれから解明されるべきところなので、私があれこれ推察するべきではないだろう。
ただ、ふと瞬間的に感じたことを、書いておきたい。
私はうつ状態(反応性のもの、ホルモン剤の副作用などで)の経験があり「死にたい」という気持ちになったことが、数知れずある。しかし死ななかった。だからこうしてブログをつづっている。
あるお医者さんが機転を利かせて言ってくれた言葉を思い出す。
「生きてさえいれば、良いことがある・・・かどうか、僕には分からない。明日どうなるかってことなんか、今のあなたに話しても、何の希望も持てないよね。だったら、まずは今日の話をしよう」
「今日は生きようよ。今日の24時までは、とりあえず生きてみよう」「明日のことは、明日考えればいいよ」
うつ状態で視野狭窄に陥っている人に「明日はどうのこうの」と言い聞かせても、心にまで届かない。うつ状態の私たちの心に、一番届くのは「今ここでどうすればいいのか」という答えなのだ。
だから「死んではいけない」と漠然と言われるよりも「とりあえず今日は死ぬな」と言われるほうが楽になる。
「今日の24時まで生きろ!! 動悸がして、息切れがして、吐き気・嘔吐もあるかもしれない。不安で不安で、涙があふれるかもしれない。それでも、とりあえず今日の24時までは生きろ!! 明日のことなんかどうでもいい」
明日のことを考えながら、今日死んでしまっては・殺してしまっては、意味がない。中川元大臣が、なぜ亡くなってしまったのか分からない。確かに酩酊した状態で記者会見をした、あのことは延々とこれからも批判されるかもしれない。でも、死んだらもう挽回のチャンスがない。
私も介護の経験があって、若い私でもくたくたになるのだから、老老介護というのは私なんかより、ずっと辛かっただろうと思う。それでも「殺したら、どうにもならない」んだ。私も殺意に近い憤りを覚えたことはあるけれど(私の場合はそれが、自分への攻撃となってPTSDの症状を再発させてしまった)、「明日のことは知らない。とりあえず今日は、笑顔を作って接してみよう」という考えに、ずいぶん救われていた。
介護は
「先のこと」を考えすぎると、自分の首を絞めることにつながる。そう実感したものだった。
日曜の朝、さわやかな秋晴れの空が広がっている。そんなときにはふさわしくない話題かもしれないけれど。今の私の「死」に対する思いを、書き残しておきたいと思う。
[0回]
PR