「誰かや何かを大切にしたい」という欲求がある。
私には子どもを持つ機会はないと思うし、色恋沙汰からも遠ざかっているけれど、
「自分だけのために生きるのではなく、大切なものを守り、そのために身を尽くして生きてゆきたい」
という思いがあるのは、女性という性別に関係があるのかもしれない。
いっぽうで「大切だ」という思いが募りすぎた時に現れる激しさ・昂ぶりを恐れている。
たとえば離れがたい思いや、共に過ごす時間がいつまでも終わらぬようにと、相手に、あるいは神に希うような気持ちが、自分の心を締め付ける、その痛みを恐れるのだ。
ところで、私はこれまで、願ったことの多くを叶えることができたと思う。
100点満点の成果が上がったことばかりではないけれど、何か良いこと・嬉しいことがあったときに、
「過去のあのときに望んだことが、今叶ったのだ」
と思えることが多く、幸せだったと思う。
神様は今、私に「大切だと思える人との出会い」を、新たに1つ与えて下さった。
その思いは、惚れた腫れたという種類のものではないし、決して激しいものでもなく、離れているからといって心が痛むわけでもない。
ただ、その人と共有した時間を思い出し、また次に会う約束に思いを馳せれば、胸が温かくなるような、そんな穏やかな気持ちになる。
日常生活に折り重なるようにして、穏やかで幸せな気持ちがそこにある。
「誰かを大切にしたい」という願いを、神様は叶えてくださった。
そして激しさや昂ぶりを恐れる私に、神様は配慮してくださった。
今の幸せを、一瞬の奇跡に終わらせないよう、大切に育てていくのは私自身の役目なのだと思う。
[2回]
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