【注意】一素人の考えなので、間違っているかもしれません【注意】
私は、時々「相談」が書かれたメールを受け取る。
見ず知らずの方だから、丁寧な言葉で書かれていることが多いんだけれど、何かものすごい「勢い」を感じることもある。それは、メールの内容・頻度・話題の深さなど、様々なことを総合して、「勢い」と表現するしかないものだ。
私がその勢いに圧倒されて、「相談と返答」のキャッチボールがうまくいかないこともある。
先日、ふと気付いたことが1つある。
「相談する人にとって、『相談』が成立するタイミングはいつか?」
この認識が、病院に行くのと、メールで相談を送ることで違ってしまうのではないだろうか?
もし、病院の休診日だったり、先生が休んでおられたりすると、相談したくても「相談というボールを投げることそのもの」が、成立しない。
いっぽう、「メールで相談を送る」という場合。
「今、相談していいですか?」と断る人はまずいないだろう。メールの良いところは、電話や対面での相談と違って、送る側・受ける側が時間に余裕のある時に対応できるというものだから、断り書きをすることにあまり意味はないだろう。
それに、このような断り書きをされると、相談を受ける側も困ると思う。この段階で「受けられないです」と断ることのほうが、精神的にすごくしんどいから。
そこで、初めから相談内容をメールに書く・書いてもらうということになる。
メールを送信するとき、相談する人にとっては「相談という欠けたところのないボールを、完璧なフォームで投げた状態」かもしれない。
しかし、相談を受ける側にとって、情報の過不足があったり、相談を受ける構えができていないときに、いきなり飛んでくるボールに対処しなければならないところがある。場合によっては「情報の補足」をお願いしたり、「申し訳ないが、お聞きする余裕がない」という返答をせざるを得ない。
相談する人は「すでに完璧なボールを完璧に投げた」上に、「返答してくれるかな?」「ボールが返ってくるかな?」と気にし続けている状態だ。つまり、ボールを何度も投げているようなもの。
この状態で、ボール1個分の返答しかなかったり、そっけない内容だったりすると、腹立たしいという気持ちは、わかる気がする。私だって、「誰かからのメールの返答がなかなかない」というときには、苛々したり、心配になったりするし。
相談は「相談する人、される人」の2人(場合によっては、スーパーバイザーなど3人目も存在する)で成立するのだと思うけれど、相談が成立するタイミングを、
1.「メールを送信した時点」だと認識する人
2.「相談の内容を見てから、受ける(受けられる)かを考えたい」と思う人
が同時に存在してしまうのが、メール相談というもの独特の齟齬であり、これは私が素人だからとか、他のプロの先生とは違うから、という問題では分けられない点だとも思う。
もう一つの点は「私が素人であり、できる範囲でしか相談に乗れないから」という点に起因する齟齬なんだけれど、既に長い文章を書いてしまったので、後日改めて。
【注意】一素人の考えなので、間違っているかもしれません【注意】
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