外科に入院していた時、心理療法士の先生とお話した。
私は、
「誰かから相談を受けた時に、○○とか□□という言葉を遣うのを、ためらってしまう」
とお話した。その言葉を期待して、相談してくださっているのは十分わかっている。それだけに、中途半端な状態では遣えないと思い、どうしても慎重になってしまうということを。
先生のお返事は、次のようなものだった。
「大事な部分をよく分かってらっしゃる、ということですよ」
その後、大学の授業などを受けていても、先生のおっしゃる「大事な部分」とは何か、それはいつか理解できるのか、自分は間違っていないのか、よくわからなかった。
先日、大学の授業が一段落したので、平井孝男先生の本を読み始めた。
すると、自分が「○○、□□という言葉を遣うのに慎重になってしまう」このと、慎重になるという「結果」の部分ではなくて、「なぜ、慎重になってしまうのか?」という部分を、初めて考えることができた。
それは、自分にとってすごい衝撃で、涙が止まらなくなるくらい、びっくりした。
ずっと胸につかえていた何かが、溶けていく感じがした。
心理療法士の先生が、何を伝えてくださっていたのかが改めて理解できた。
心から、お礼を申し上げたいと思う。
かつて、林公一先生の本を読んでいた時、
「もしも、私がこういう相談をお聞きしたら、こういう対応をするだろうな」
と思うのと全く同じ対応をされている、精神科の先生が登場したことがある。
「プロの先生も、この場合は、似たような対応をされるのだ」という記述は、自分をとても安心させてくれた。
でも、そのケースでは「患者さんが席を立ってしまう」という結末を迎えており、また患者さん視点での、怒りに満ちたお話として掲載されていたこともあって、「素人の自分に、どうこうできる問題ではない」という思いも強くなった。
今の自分にできることは、まず平井孝男先生の本の続きを頑張って読むことかな。
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