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普通の日はないんですか!?

「大きな波に流されるのでも、逆らうのでもなく、波に乗って進みなさい」と、教えてくれたのはあなたでしたね。

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2010年3月のWeb拍手のお礼

●は頂いた一言メッセージです。
◎は美辞ん堂ふゆうからのお返事です。

●病気が再発して、泣きながら検索していたら芸術作品と出会い、笑えました。元気が出ました。ありがとうごさいます。
 ◎大変な中、メッセージをありがとうございます。芸術作品が、このような形でお役に立てるなんて、作った当時は思いもしませんでしたので、嬉しい限りです。

●はじめまして。メニエールで倒れてばかりなので手術の話は大変参考になりました。ありがとうございます。
 ◎お役に立てましたら幸いです。完治はしませんが、気をつけることで寛解にいたることができると、お互いに信じていきましょう。

●元気をもらいました。ありがとうございました♪
 ◎いいえ、とんでもございません。私こそが皆様のお言葉に、エネルギーをいただいております。

皆様、温かいお言葉をいただき、ありがとうございました。

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ありえない服の画像を見せて自分の殻を破れ!!

昨夜から、体幹のある部位(今は伏せます)から、けっこうたくさん出血があって、服を汚してしまっている。95パーセント以上の確率で、既にかかっている良性疾患の症状だと思われるので、心配はしていない。
ただ、3年以上症状がなかったので、「出血した」ということ自体は、先生に説明しなければならない。

そのためには、汚してしまった服をデジカメで撮影して画像(全体が映る画像と、汚れの部分を大きく撮った画像)をお見せするのが良いと思う。一番、通じやすいのは、服そのものを、持って行くことだろうけれど、さすがにこの季節に、血液を洗わずに、服を保管するのは勇気が要る。今晩一晩は、保管しておくつもりだが、それ以上は無理ではないだろうか。

ただ、一つ困ったことがある。

この服が、大変・・・、大変・・・、言葉を濁さざるを得ないが・・・、「ありえない」ような服なのだ。汚れが、ではなくて、その服の特徴が・・・、とてもじゃないけど、これを着て外を歩くには、非常に条件がそろっている場合でないと、無理なのだ。
一方で「非常に条件がそろっている場合」には、何十人、何百人の人が、この服を着ていたこともある。

正直言って「なんとか、この服の特徴が写真に写らないような、光のあて方はないか?」と深刻に悩んだ。悩みすぎて、暖房も入れずに体が冷え切っていることに気がつかず、突然ふるえがきたくらいだ。

この服を見せるくらいなら、下着の写真を撮って見せるほうがマシだとすら、思った。寝ている間に起こった出血なので、昼間のような下着の着け方をしていなかったのが、今になってこんなにも悔やまれる。


きっとこの画像を、素直に先生に見せることができれば、一つ自分の殻を破れるんじゃないかと思う。そうでも思わないと、・・・生きていけない・・・。

なぜ、この服を着てしまったのか?
なぜ、この服を着てしまったのか?

一生悔やみ続けて、身動きが取れなくなるわけにもいかない。

近日中に、この服をデザインした方のラジオ番組が復活すると聞いた。私も楽しみにしている。公開放送のときには、この服を着た人が何十人、何百人と集まったと聞く。

「どやTシャツ」をデザインした妹尾和夫さん、ようこそお帰りくださいました。。。

妹尾和夫さんの復帰は嬉しいけれど、私の苦悩は終わるわけじゃない・・・。どうしよう・・・。

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【企業情報管理士】合格証書が届きました

合格証書はA4サイズ。「優秀な能力を有し」っていうのは、なんか申し訳ないです。私の知っている合格者は「96点得点しました」とかおっしゃっていますが、私は82点だったので・・・。



それと携帯用のカード、ロゴマークのシールもいただきました。
将来のいつかで結構ですので、カードを、写真入にしてもらえたら嬉しいです。



【企業情報管理士試験 受験記】「合格したら治る」と鬼は言う
http://www.mypress.jp/v2_writers/kounokagerou/story/?story_id=1896289

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「大阪外島保養院物語 ハンセン病隔離政策100年を問う」を聞いて

ABCラジオで「外島保養院」についての特別番組があった。
「大阪外島保養院物語 ハンセン病隔離政策100年を問う」
外島保養院は、大阪・西淀川に1909年から1934年まで存在した、ハンセン病療養所である。

なぜ、この番組に興味を持ったかというと、祖父が「老人性結核の疑いあり」とされたときの経験を思い出したからだ。祖父は若いときに結核にかかったので、年老いて現れた症状を総合的に判断されて、国立療養所・千石荘病院を紹介され、入院治療を受けていた。
さらに患者家族も、何度も保健所に呼び出されて、けっこうバタバタした。

そのとき祖母から「結核という病名を、絶対に他人に言ってはならない」と厳しく、しつこいほどに言われていた。私は高校3年になったばかりで「周りはみんな受験生で、そのような病名を聞かされたほかの人が、ショックを受けるかもしれないから、黙っていたほうがいい」と自然に思えた。

後に思えば、祖母は「結核ということがわかれば、他人から嫌われる」という思いが、ものすごく強かったのだろう。祖母のレントゲンに「カゲがありますね」と言われたのだが(偽影でした)、そのときの狂乱ぶりは唖然とするほどで「結核になって生きるくらいなら、死んだほうがマシだ」という言葉を、延々と聞かされ続ける羽目になった。

「黙っていよう」と思えば思うほど、人目が気になってしまうのが、不思議だった。「私は、つい口をすべらせて、誰かに何か言ってしまったのでは?」という気持ちにすらなった。

千石荘病院は少し遠いので、祖父の見舞いと、家事と、自分の受験勉強で、肉体的にもなんだかクタクタになっていったのをおぼえている。

外島保養院についての番組は、私の耳では全てを聞き取ることはできなかったのも本当だ。ただ聞きながら、千石荘病院へ祖父に会いに行ったときのことを、思い出した。
外島保養院にいた人たちには、このように気軽に見舞う・見舞われることもなかったのかもしれない。幼少時からずっと、療養所内で過ごさなければならない人もいたそうだ。
また、ハンセン病患者を隔離する政策は、あまりにも長く続いたため、強制的な隔離が行われなくなっても、療養所での生活を選ばなければならなかった人もいるそうだ。

千石荘病院の誰に聞いたのだったか「長期入院をしていると、治ってもどこへ帰ればいいのか、わからなくなる」という言葉が、心に突き刺さったままだ。それはご家庭の事情といった個人レベルの問題だったのか、結核という病気によるものかは、今となっては定かではないが。

番組を聞く間、千石荘病院の窓から見えた、猫たちがごろ寝している光景が目に浮かんで、仕方なかった。
私が祖父の見舞いに行くと「遠いところよく来たね」と言ってくれるほかの患者さんは、猫を可愛がっていた。自分も大変なときに、他の人や動物に、愛情を注げることを、すごいと思った。

外島保養院は、室戸台風で壊滅状態となり、同地に再建することは叶わず、岡山県長島に再建されることになった。
千石荘病院は平成15年に「国立病院 大阪医療センター」に統合された。

そうか、どちらも、もうないのか・・・。さびしくなったのは本当だ。

今もこんなにはっきり目に浮かぶのだ。「よく来たね」と言ってくれた患者さんたち。窓の向こうでくつろいでいた猫たち。そして「結核ということは、誰にも言ってはならない」と、あまりにもきつい言い方で、私たちに命令した祖母の顔。

これから、もっとハンセン病のこと、結核のことが正しく知られるようになればいいと思う。「適切な感染予防」と「過剰に恐れない正しい対処法」が広く知られることで、病気への偏見がなくなっていけばいいと思う。そして今までに不当な差別を受けてきた人々の存在から、私たちは様々なことを学ばなければならない、とも思うのだ。

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