プライベートを犠牲にするのは構わない。
私は完璧な人間ではないから、文句を言われるのも、仕方がない。
でも、「犠牲にしている」という事実は理解してほしい。
仕事だってあるし、私も病気をすることがある。
「忙しいときは、返事ができないこともある」
「仕事がある」
「入院中だ」
って、私だって言ってみたかった。
でも、それを言ったら、私ではない誰かが中傷などの目に遭うかもしれない。
そんな連鎖は止めなければいけないから、私は、いつでも答えなければいけない。
そう思ってた。
では、私は誰に相談すればよかったんだろう?
いや、「相談」とは違う。
何かを解決してほしいとか、何かに答えてほしいわけじゃない。
私が、「これでいいのか?」と悩んでいるとき。
あるいは「失敗した、自信を無くした」と思ったとき。
「個々の問題を取り上げたら、あなたにも失敗や間違いがある」
「でも、私はあなたの存在、そして、あなたが何かを犠牲にして、頑張っている事実をちゃんと知っているよ」
そう示してくれる人がいたなら、「犠牲」ではなく「献身」という思いを持てたかもしれない。
こんな私も、
「ありがとう」
と言ってもらえたことがある。
それは、すごく嬉しかった。本当に嬉しかったんだ。
でも、同時に、今までの自分が犠牲にしたもの、自分が受け止めなくてはと思っていた悪意、そんなようなものは、自分以外の誰かにとってはけっこう「どうでもいいもの」だと分かった。
私が勝手に犠牲になって、勝手に受け止めてきたんだから、そういう思いはこれから、自分で成仏させなければいけないのだろうと思う。
「犠牲にする」ことを選んだのは自分。
「忙しいから」と言えなかったのは自分。
「私が連鎖を止める」と決めたのは自分。
今までのそんな自分が、今の自分を作り上げてしまったのだ。
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