ヨミドクターの記事 「医師の言葉で苦しみ」
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=87665&from=knavr実は、私は「心因性」と言われるほうが、気分が良くなることがある。
でも、そういう人は少数派だってことも、最近は分かっている。
私が、心因性という言葉を好むようになったのが、いつからなのかわからない。
ただ、はっきり覚えていることがいくつかある。
●2007年が明けてすぐ、抗生物質にアレルギーを起こし、やがて気管支喘息になったとき
●2008年の夏、メニエール病が再発したとき
●2012年の暮れから、頻脈性不整脈が現れ、意識がなくなることが数度あったこと
いずれも、主治医の先生に、
「心因性の症状ということは、ないんですか?」
と、自分から聞いている。
私が「心因性、心の病気の可能性はないんですか?」と聞いた理由は次のようなもの。
●身体のこととは別に、はっきりとした悩みがあった
●転換性障害の既往がある
●前後の話の流れを考えると「まるでドラマや映画のようなタイミングで、身体の病気になるなんて、都合がよすぎる」「(自分に対して)悲劇のヒロインぶってんじゃないよ!」という思いがあった
いつしか、先生方に、
「症状はこうなんですけど、ストレスがかかってたんで……」
「こういう症状って、心因性でもあり得ますよね」
と自分から言うようになって、一部の先生からは、
「『心因性』が好きなのは分かるけど、とりあえず置いておいて」
って言われるようにもなった。
私の心の中に、
「心因性の病気であれば、私が努力できる余地が大きい」
という思いがあるんだろう。
●自分の心を変えることで、症状が和らぐのではないか?
●自分の生活習慣などを見直すチャンスなのではないか?
●もとあった悩みと、向き合う必要があるという、サインなのではないか?
でも、「身体の病気です」と言われると、主導権が病気の側にあるように感じる。お医者様の手を借り、お薬の力を借りなければならないということでもある。
治療を待っている方はたくさんおり、あまり大した症状でもない自分が、お医者様に時間と労力を割いてもらうことに、申し訳ない気持ちもある。
身体の病気が嫌だということではないし、身体の病気は「なりたくてなれる」というものではないから、とことん経験しつくしておきたい、という好奇心もある。
身体の病気で何らかの症状が出ているとしても、「感じ方」を変えるのは、私たち患者にもできることだから、「身体の治療を受ける=お医者様に丸投げをする」ってことではない。
ただ、冒頭のリンクのような記事を読むたびに、
「心因性という言葉を、初めから望んでしまう自分は、どこか変なのかな?」
と思うことがある。
今、放送大学で心理学・看護学などを学んでいる。
「私の考えは改めるべきものなのか?」
「なぜ、私はこう考えてしまうのか?」
ということにも、いつか答えが見つけられたらいいと思う。
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