メニエール病のホームページを通して(
http://fuyuu.at.infoseek.co.jp/op/index.html)、あるいは他の理由から、他の患者さんのお話を伺う機会が増えるにつれ、どうしても「越えられない壁」があると思えてきた。
それは「年齢」という絶対に動かせないもの。メニエール病を重症化させ、手術が必要になるには、一定の時間がかかる。そうすると患者さんの年齢は、40代、50代、あるいはそれ以上になっていることも多い。
年齢差によって起こる「悩みの質の違い」に対処できていないことを申し訳なく思ったし、今も「自分には至らない点が多々ある」と思っている。「24才で内リンパ嚢開放術を受けることができました。現在33才です」という、人生経験の浅い私が、何の役に立てるのだろうと思う。
あるとき「いのちの授業」を、日本で早くから実践されてきた甲斐裕美様のことを知った。
甲斐裕美様は現在「NPO法人 生きるちから VIVACE(ビバーチェ)」の代表を務められている。
http://www.ikiruchikara.org/甲斐裕美様のお考えなどに触れ「色々な立場の人がいていい」「それぞれの人が『自分にとって世界はこんな風に見える』『こんな風に感じられる』と伝えていけることが大事」だと思えた。
私は自分の人生を、一度しか生きてみることはできない。しかし、多くの人にお話を聞いたり、本を読んだりして、別の人生を疑似体験することは、できるかもしれない。
そうやって、自分が「人から人へ」と伝えることができれば、嬉しい。
この考えに至るまでに、けっこう時間がかかってしまったけれど、甲斐裕美様、VIVACEさんの考え方に触れたおかげで、自分の存在を肯定できた。
「あなたが、闘病生活をとても頑張ったことを、私は知っている。世界中の誰もが忘れてしまっても、私はおぼえている」
私は誰かにそう言ってもらえたら、嬉しい。逆に私が誰かに、そう言えるようになれば、嬉しい。
こう考えれば、「傾聴する」「メールや手紙などに書いていただく」ということにも、少しは意味があったのではないかと思えるように、ようやくなってきた。
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