"What A Friend We Have In Jesus"は、邦題として「いつくしみ深き」がつけられており、結婚式などで歌われることも多い。
この詩を書いたのは、1800年代を生きたアイルランド人のジョセフ・スクライヴェン氏。氏は、結婚寸前になって婚約者を事故や病気で亡くすという経験を2度もされているそうだ。
私が驚いたのは、この詩が彼自身のためではなく、闘病中であったスクライヴェン氏の母親のために書かれたものだと知ったとき。人間は、自分が満たされているときに、他人を思いやり、他人のために善行を積むことはできるかもしれない。しかし、スクライヴェン氏は自身も心に哀しみを背負いながら、貧しい人々のための奉仕活動に取り組み、さらに「母のために」と、この詩を書いたというのだ。なんて器の大きい人物なのだろうか。
"Can we find a friend so faithful who will all our sorrows share?
Jesus knows our every weakness, take it to the Lord in prayer"
私は昔、
「現実的・技術的には介護をしているけど、心の中には怒りとか悔しさとか、そういう黒い感情でいっぱい。そういう自分をダメだと思ってしまう」
ということを、M先生だったか、T先生だったかに聞いてもらったことがある。
そのとき、
「俺は、ダメやとは思わん。俺には『ふゆうさんの腹に何があるか』なんて見えないもん。見えるのは、毎日休まずに介護を続けてるってことだけやん。ふゆうさんさえ自分を責めるのを止めたら、誰も責めへんよ。だから、もう自分を許してやりや」
って言ってもらえたことを、おぼえている。
"In his arms he'll take and shield thee, thou wilt find a solace there"
私の弱さ、根性の悪さを知って、それでも今までどおり、接してくれている人がいる。
だから、私は乗り越えられたのだと思うし、これからも乗り越えていこうと、思えるんだろう。
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