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普通の日はないんですか!?

「大きな波に流されるのでも、逆らうのでもなく、波に乗って進みなさい」と、教えてくれたのはあなたでしたね。

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( ..)φ_T先生の診察

婦人科のT先生のところへ行った。

まず基礎体温表を見てもらう。

「暑くて、低温相も含めてすべて高くなってしまってて」
「ホンマや(笑)。でも、かろうじて排卵日は分かるかな……、この日っぽくない?」
「はい! 他の体調もそんな感じやったし」

「で、カバサールを増やしたけど、どうやった?」
「今、とてもきれいに止まってる。乳汁も、痛みも」
「……ホンマかいな。。。」
「はい!? え?」
「いや、あのな。まずプロラクチンの検査をしても、すごい低い値やったやん?」
「はい」
「でも、乳汁が止まらんかったということは、中枢性のものではなくて、乳腺症としての症状かもしれへんなぁ、それやったらカバサールは効果あるのかなぁ、とは思っててん」
「はい」
「でも、現に効果があったようなんで、減らす理由はなく」
「はい」
「今日も1回2錠分を出すから、飲んでね」
「はい」

「でや。Pさんから聞いたけど」
「あの、そうなんですよ。私に勇気がなくて、申し訳なかったんです。何人かの方が『入っていいよ、大丈夫やで』って言ってくれたんですけど、迷惑かけたらどうしようって思って」
「わかるけどな(笑)、でもレースの後だったら、別に良かったのにって思う」
「めっちゃごめんなさい<(_ _)>」
「俺に謝ってもしょうがないやん(笑)」

「あの」
「ん?」
「この両手を見てください」
「うん。え? どうしたん?」
「その日に、日焼けがすごくて」
「ほぉ!」
「で、その3日後に写真を撮ってもらったんですけど(見せる)」
「どわっ(驚愕)! どうしたんこれ?」
「はははは、それは後で説明するとして、手袋してますよね?」
「うん」
「手袋は、カラードレスの時はしないっていう方法もあるそうなんですけど」
「うん」
「日焼けがすごかったんで、目立たんようにはめてもらったんですよ」
「そうなんや(笑)」

「P先生にも、見てもらってください、名誉の負傷の後を(笑)」
「ははははは(笑)。これは、しかしすごいな。前の写真で免疫がある俺でもびっくりしたからなぁ」
「ははははは(笑)」
「P先生には、自分でもちゃんと言いや?」
「はい」

「あの、帰りに雹とか降ってきて、ずぶ濡れになったけど」
「はい」
「日焼けの後やったから、すごい気持ちよかったんですよ」
「ほぉお」
「あの、かつて、トライアスロンを見に行ったとき、上位の方々がマラソンに入ってから、落雷がすごくなって、レース自体が中止になったことがあるんですよ」
「そうなんや」
「だから、この前のときは、レース終わってから雷と雹を浴びたことは、まだ良かったと思いました」

「P先生みたいにできたら、どんな気持ちなんやろうな?」
「そりゃあ、気持ちいいですよね。私も乗りたい! でもメニエール病やから、保険とか入れるかなぁって。無保険での活動がO.K.やというなら、そりゃあ乗ってみたいけど」
「あぁ、なるほどなぁ。そういうことも考えんとな」

「あの、真面目な話なんですけど」
「ん?」
「P先生と話が噛みあうようになってきたとき」
「うん」
「あの、自分が別にしんどいことがあって。それで海外とか、日本語を分かってもらえないような地域で、自分だけ日本語を話しているような気分になってたんです。それで、P先生と共通の話題があって、話が分かりあえると思ったときに」
「うん」
「海外で日本人に会ったときのような、嬉しさというか気の緩みがあって。それで私が、安心して色々話してしまうから、P先生も話さんといけないようになると思う。それで、自分が止まれへんようになりそうやなって……」
「それは、ふゆうさんが一人で決める問題じゃなくて、Pさんとの間で、決めていくべきもんやろ。Pさんが『しゃべるな』って言っているんなら、止めるべきやけど。Pさんの都合とか、顔色とか、反応とか、色々あるやろうから、そこはPさんを見て決めないといけないねん」
「おぉ、なんか名言!」

今日はボルタレンSR、カバサールをいただいて帰宅する。ありがとうございました。ぺこり。

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もしも明日……

「このままだと、やばい」と思っているところに、ちゃんとケリをつけられたら……

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日焼け

このまえ、ヨットレースを見に行って日焼けした。
皮が剥けるような日焼けは久しぶりだけど、なんか気分がいい。

ここまで来たら、脚も焼いてやるかと思い、今日はスカートで直射日光浴び浴び!
とりあえず、真っ赤にはなった。

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私はそんな風に、年を取っていけるのかな。

回覧板で、
「敬老祝い金を受け取る資格のある方は、このリストに名前を書いてください」
という紙が回ってきた。

私は先月まで月当番だったので、今月は一番最後に回覧板を受け取ることになる。
だから、リストには他の家の方がすべて記入されていた。
「何も書き込まないのはうちだけか」
とちょっと悔しい。

皆さんの歩まれた70年、あるいは80年といった年月はどのようなものだったのだろうと考えた。

今、住んでいる家にも、高齢のU田さんという方が、おひとりで住まわれていたと聞いた。
だから、引っ越しのあいさつに行った時も、
「U田さんが住まわれていたところです」
と言えば、通じた。

そして突然よそからやってきた自分のような若輩者を受け入れてくれた。心配してくれた。
「ここに住んでいる人に、そんな悪い人はいないけれど。
 でも『若い女性が住んでいる』っていう噂が立てば、どこから誰が聞きつけて、近づいて来るかわかれへんのよ。
 だから、戸締りとかちゃんとして」
と、初対面の私に言ってくれたのだ。

皆さんの人生に、色々なことがあったんやろうな。
そのたびに、器を広げてきたんやろうな。
大きな器、大きな心を持ってはるから、受け入れてくれはったんやろうな。

私はそんな風に、年を取っていけるのかな。

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やっと聞いてもらえた

どうしたんだろう?
今日は、特定の思い出がよみがえってきて、どうにも気持ちの高ぶりを抑えられない。

それは、ちょうど昨年の暮れから年明けにかけて、親戚関係でしんどいことがあった時期。
私は
「何かを言っても、私の言葉を聞いてくれる人がいない」
という感覚が強くなってた。

別に、しんどさを肩代わり欲しかったわけではない。
ただ、
「言葉の違う国で困っている自分が、日本語で訴えても、誰も分かってくれない」
「もう、訴えることに疲れたから、道端で朽ち果ててしまおう」
のような気持ちになっていた。

そのような折に、話を聞いてくれる人が現れた。
その人は、決して口数が多い方ではないんだけれど、それだけに
「それは、大変やったなぁ」
「もう、大丈夫なん?」
という言葉に重みがあった。
外国で困っている自分の前に、日本語の分かる人がやっと現れた、というような気持ちだった。

今現在、私はその人をとても信頼するようになったし、その人と話すのがすごく楽しい。
他で辛いこと、聞いてもらえないこと、無視されることがあったとしても、
「この人は聞いてくれる。私の気持ちを尊重した上で、ご自身の考えを言ってくれる」
という確信がある。

ただ、その気持ちの中に、私の甘えとか気の緩みがすごく含まれているのが、自分でも分かる。
昨年暮れからの「やっと聞いてもらえた!」という気持ちが、ずーっと自分の中にあるんだ。
その部分を、自分でどう扱えばいいのか、分からない。

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