忍者ブログ

普通の日はないんですか!?

「大きな波に流されるのでも、逆らうのでもなく、波に乗って進みなさい」と、教えてくれたのはあなたでしたね。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

学会の思い出・・・きちんとお別れできて良かった

今ちょうど、仙台で下記の学会が開かれているそうです。

第111回 日本耳鼻咽喉科学会総会・学術講演会
http://www.congre.co.jp/jibika2010/index.html

私は昔、理系の大学院生でした(想像がつかないでしょうけれどっ!!)。耳鼻科の手術が終わったら「大学院修了のけじめとして学会発表を経験しておこう」という指導教官の勧めがあり、そのようにしました。

前日に、会場の下見に行っておくようにと言われながら、風邪がはやっていて、熱が上がってしまったので、下見は行けませんでした。
当日は、発表する内容よりも、機材を二台使わなければならなかったのですが、連携がうまく取れず、初めのうちは焦ったのを、思い出します。

あれから数年が経ち、改めて思うことは、「きちんと」学問にお別れができたことは、良かったということです。

人生には色々な別れがあり、出会いがあります。別れが悲しいからこそ、出会うことが嬉しいものです。主治医、友人、恋人、家族、ペット、様々な物、仕事、勉強など、「共に過ごせる時間は有限だ」と知っているからこそ、共に過ごす時間を大事にできるのではないでしょうか?

良い形で「きちんと」お別れができたら、悲しいけれど「しんどく」はありません。「きちんと」お別れができていないまま、曖昧な状態が続くと、しんどいなと感じます。
私にも、私の未熟さが原因で「きちんと」お別れできなかった人や物があります。それはとても、申し訳ないと思います。

「明日、お別れをすることになっても悔いはない」

そう言える接し方を、常日頃からすることが、大切ではないでしょうか。
なかなか、私自身がそれを、実行できないでいるんですけれども。

拍手[0回]

PR

あぁもぅいやゃ・・・。

10時間、文章を書いた。疲れた・・・。

拍手[0回]

「家が喜ぶ」ことは有り得るか?

1ヶ月ほど前。自宅で作業中に、どうも玄関が騒がしい感じがした。非常に風の強い日だったので、外の騒音かもしれない。

その日と翌日は、家族が遠方へ出かけて留守だったので、何度も感じられる音に怖くなり、玄関の鍵を閉めた。さらに怖くなり、お香と塩を置いて「どうか何も入ってこないでください」と祈りすらした。

このとき「今日は留守なんだから」と、お香を家の3ヶ所で炊いてみた。すごくいい香りになり、もともと感じていた怖さも忘れて、いい気分になった。

ふと「家を浄化すると、家が喜ぶって話があったな」と思った。

お香を炊きまくって「何も入ってこないでください」と祈った日から、時々「家に栄養を与える」ような気分で、お香を炊くようになった。家は本当に、喜んでいるのかどうか、わからないけれど、気に入った香りに包まれていると、私自身が幸せになる。

なぜかそれ以降、私自身が新しい出会いに恵まれ、家を空ける用事が増えている。家にも栄養を取ってほしいから、お香を炊くことは、欠かさないようにしている。

拍手[0回]

「いのちの授業」と33才の私

メニエール病のホームページを通して(http://fuyuu.at.infoseek.co.jp/op/index.html)、あるいは他の理由から、他の患者さんのお話を伺う機会が増えるにつれ、どうしても「越えられない壁」があると思えてきた。

それは「年齢」という絶対に動かせないもの。メニエール病を重症化させ、手術が必要になるには、一定の時間がかかる。そうすると患者さんの年齢は、40代、50代、あるいはそれ以上になっていることも多い。

年齢差によって起こる「悩みの質の違い」に対処できていないことを申し訳なく思ったし、今も「自分には至らない点が多々ある」と思っている。「24才で内リンパ嚢開放術を受けることができました。現在33才です」という、人生経験の浅い私が、何の役に立てるのだろうと思う。

あるとき「いのちの授業」を、日本で早くから実践されてきた甲斐裕美様のことを知った。
甲斐裕美様は現在「NPO法人 生きるちから VIVACE(ビバーチェ)」の代表を務められている。
http://www.ikiruchikara.org/

甲斐裕美様のお考えなどに触れ「色々な立場の人がいていい」「それぞれの人が『自分にとって世界はこんな風に見える』『こんな風に感じられる』と伝えていけることが大事」だと思えた。

私は自分の人生を、一度しか生きてみることはできない。しかし、多くの人にお話を聞いたり、本を読んだりして、別の人生を疑似体験することは、できるかもしれない。

そうやって、自分が「人から人へ」と伝えることができれば、嬉しい。

この考えに至るまでに、けっこう時間がかかってしまったけれど、甲斐裕美様、VIVACEさんの考え方に触れたおかげで、自分の存在を肯定できた。

「あなたが、闘病生活をとても頑張ったことを、私は知っている。世界中の誰もが忘れてしまっても、私はおぼえている」
私は誰かにそう言ってもらえたら、嬉しい。逆に私が誰かに、そう言えるようになれば、嬉しい。

こう考えれば、「傾聴する」「メールや手紙などに書いていただく」ということにも、少しは意味があったのではないかと思えるように、ようやくなってきた。

拍手[0回]

「いのちの授業」と33才の私

メニエール病のホームページを通して(http://fuyuu.at.infoseek.co.jp/op/index.html)、あるいは他の理由から、他の患者さんのお話を伺う機会が増えるにつれ、どうしても「越えられない壁」があると思えてきた。

それは「年齢」という絶対に動かせないもの。メニエール病を重症化させ、手術が必要になるには、一定の時間がかかる。そうすると患者さんの年齢は、40代、50代、あるいはそれ以上になっていることも多い。

年齢差によって起こる「悩みの質の違い」に対処できていないことを申し訳なく思ったし、今も「自分には至らない点が多々ある」と思っている。「24才で内リンパ嚢開放術を受けることができました。現在33才です」という、人生経験の浅い私が、何の役に立てるのだろうと思う。

あるとき「いのちの授業」を、日本で早くから実践されてきた甲斐裕美様のことを知った。
甲斐裕美様は現在「NPO法人 生きるちから VIVACE(ビバーチェ)」の代表を務められている。
http://www.ikiruchikara.org/

甲斐裕美様のお考えなどに触れ「色々な立場の人がいていい」「それぞれの人が『自分にとって世界はこんな風に見える』『こんな風に感じられる』と伝えていけることが大事」だと思えた。

私は自分の人生を、一度しか生きてみることはできない。しかし、多くの人にお話を聞いたり、本を読んだりして、別の人生を疑似体験することは、できるかもしれない。

そうやって、自分が「人から人へ」と伝えることができれば、嬉しい。

この考えに至るまでに、けっこう時間がかかってしまったけれど、甲斐裕美様、VIVACEさんの考え方に触れたおかげで、自分の存在を肯定できた。

「あなたが、闘病生活をとても頑張ったことを、私は知っている。世界中の誰もが忘れてしまっても、私はおぼえている」
私は誰かにそう言ってもらえたら、嬉しい。逆に私が誰かに、そう言えるようになれば、嬉しい。

こう考えれば、「傾聴する」「メールや手紙などに書いていただく」ということにも、少しは意味があったのではないかと思えるように、ようやくなってきた。

拍手[0回]

カレンダー

06 2025/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

フリーエリア

最新CM

[01/18 シャネル スーパーコピー キーケース]
[10/10 バッグ・財布・時計スーパーコピーブランドコピー]
[07/09 美辞ん堂ふゆう]
[07/07 衣斐 美由紀]
[05/04 t.soota]

プロフィール

HN:
美辞ん堂ふゆう
性別:
非公開

バーコード

ブログ内検索

P R