これは外科や婦人科の先生に確かめたわけじゃなく、あくまで私が考えたこととして書く。
S先生は初め、
「乳房の手術をすれば、傷が残る」
ということを心配された。
私も女性だから、
「傷があるのは本能的に嫌だ。綺麗な皮膚が続いているほうがいい」
とは思う。
それに加えて、私が考えるようになったのは、
「傷があるっていう事実が『心の鎧』になってしまう」
という面もある、ということ。
昔、私は婦人科で治療を続けていることを理由に、とんでもない暴言を吐かれたことがあった。
「そんな暴言を吐く人が悪い」
「婦人科での治療に偏見を持つ人が悪い」
と言うのは簡単だ。
ただ、その考えに固執していると、
「私自身に非はなかったのか?」
を考えるチャンスを失う。
「そもそも、その人を苛立たせるような態度を、私がとったのではないか?」
「気付かぬうちに、暴言を吐かせてしまうような、失礼なことをしていたのではないか?」
それも、考えなければいけない。
「手術によって胸に傷ができる」ということにしても、
「そのために、恋人や友人を驚かせてしまい、申し訳ない気持ちになる」
ということと、
「胸に傷があるから、恋はしない。友人と旅行するような深い付き合いはしない」
と初めから決めつけてしまうことは、まったく違う。
後者の考え方を続けているうちに、
「傷があるから、人と深い関係を結ば『なくていい』」
という、怠惰な方向に流れてしまいそうな気がするのだ。
夏に「乳房の手術をするか、否か」を、S先生と話し合っていたとき、また手術の予定を他の先生方に報告をしたときに、私には「傷が残ることは、別にかまわない」という気持ちがはっきりとあった。
私の心の中には、とても大事な人がいる。
その人への気持ちを超えるほど大事な人が、他に現れるのかというと疑問だ。
そして、その人は、私の胸に傷があろうとなかろうと、あるいは他のどんな治療を受けていようと、そのことで何か言う人ではないことも、確信できている。
だから、「胸に傷ができる」ことはかまわない。
診断を確定してもらうことのほうが大事だったのだ。
その人の立場や状況を考えると、私の気持ちは「自分で確かめる」だけにとどめておいた方が良いと思っている。
「その人が大切だ」
私の中にその思いがあるだけで、もう十分だ。
ただ、胸の手術を受けて以来、私は
「その人への思いが、現実からの『逃げ』になっているのではないか」
と考えることが増えた。
「大切なのはこの人だ。この人だけだ。だから、他の人とは深く関わら『なくていい』」と考えてはいないだろうか?
私が、その人への思いを心の鎧としていることが、その人に伝わってしまったら、その人はどう感じるだろう?
その人への思いは、すぐに変えることができないし、変えなくていいと思う。
ただ「心の鎧を自分で脱ぎ捨てていく」こともまた、忘れてはいけないのだろう。
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