「内リンパ嚢開放術を受けた話」を運営していて、時々、矛盾した気持ちに陥る。
「治療法があるから、諦めないで」
「内リンパ嚢開放術のこと、流れ、回復を知ってもらえれば、楽になってもらえるよね」
そういう思いで、ずーっと文章を書き続けている。
でも、一番いいのは、そもそもメニエール病にかからず、かかっても内リンパ嚢開放術まで受けなくてもいい状態に、とどまることじゃないのだろうか? 時々、そう思う。
もちろん「手術療法があると知ったから、気が楽になって、症状が軽減しました」というメッセージをいただけば、とても嬉しい。素直に喜んでいる。
「健康な方にも、メニエール病のつらさを知っていただきたい」という人もおり、私やこのブログ・ホームページが、そういう役割を果たせるなら、本当に嬉しい。
それでも、ほとんどの人にとっては「メニエール病のことなんて知らずに、一生を終えるほうが幸せ」に違いない。
また、内リンパ嚢開放術が終わった後に、メッセージをいただけることもあって、それも本当はすっごく嬉しい。「これで元気になれますね!!」って一緒に喜びたくなる。
ただ「病気から解放されたのだから、もう私の存在にとらわれず、自由になってほしい」という気持ちもある。
私は昔、あるとても社会的地位の高い方から「家族が病気になってしまったので、ふゆうさんの知っていることを、教えてもらえないか?」と聞かれたことがある。そのとき、緊張や自分自身が病(メニエール病ではありません)を受け入れ切れてないところがあり、十分お話しできなかった、という思いがある。
どういう立場の人であっても、患者である・患者の家族である、ということには変わりはないのに、私が冷静さを欠いたために、十分なことができなかったのではないか?
そのとき、できなかったことを、今後は悔いのないように、精一杯やっていきたいという思いを、ただこのブログ・ホームページにぶつけているだけではないのか?
後悔を埋め合わせたいための、自己満足に終わってはいないだろうか?
そう思うことがあるのだ。
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