中学校の教科書で「故郷(魯迅)」を初めて読んだ。ようやく、この話の意味がわかるようになった。
2008年の秋、介護が終わり、同時にひどい中傷が行われていたことを知ることになり、Y先生からはメニエール病の再発を指摘されて、精神的には叩きのめされた。私が生まれてから今まで、故郷だと思っていたもの(土地や家だけではなく、人、コミュニティなども含めて)が、自分を攻撃する敵に変わっていたのだと感じた。
Y先生には、5年ほど診察をして頂いていた。でも、メニエール病の症状などは、長い間なかったので、半年に一度、笑ってお話しすることを、続けていた。
再発を指摘されたとき、自分はびっくりしすぎて言葉がでなかったし、やっと出た言葉は「私が鈍感だから?」という支離滅裂なものだった。
自分を攻撃する故郷など、もういらない。
それでも、「いらない」という結論が出るならば、いったい何のために介護や仕事を頑張ってきたのだろう。
これから何を頑張ったって、もう私の故郷は戻らない。
そんな思いで苦しくなっていたとき、Y先生が診察のたびに、少し心配そうに「調子、どう?」「悪かったんちゃう?」と言ってくれることに、救われた。長い間、半年に一度のペースで聴力を計ってくれて、「良い調子やん!! 大丈夫」と笑って話してくださったY先生の存在が、本当に心強かった。
私の中の故郷は、ほんとんど壊れてしまったけれど、その中に残っているものも、確かにあったのだ。「Y先生、ありがとう」と今も思っている。
Y先生からK先生に診察を引き継いで頂き、1年ほど経った。私の故郷を構成していた人やものは、形を変え、あるいは真の姿が露呈するといった形で、その趣を変えていった。もう元には戻れないだろう。
変わってしまうのは仕方ない。その中に、Y先生の笑顔のように、残り続けるものもあると、今は信じられることが、とても幸せだと気付いた。
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