知人でよくドタキャンをする人がいた。その人は「ドタキャンは悪いこと」という認識はあったようだ。
ドタキャンをしたら言い訳をする。時には過剰なほど。
言い訳をするという行為そのものは、よくないかもしれない。ただ「言い訳もしない」ということに比べたら、「悪かった」という気持ちが現れていたように思う。言い訳もしないのは、「ドタキャンをしてもかまわない相手」「許してくれるのが当然」だと思っているからだろう。
また、私のことを「いい加減に扱ってもいい相手」だと思っていたのではなく、その人の性格だったのだと思う。私もその人も、年齢が若かったので、ドタキャンがどれほど重要な意味を帯びたことか、理解していなかったのかもしれない。
結局はその人が、言い訳をしているうちに激高して、パニック状態になったことがキッカケで「もう会うことも話すこともできない」と、私から宣言することになった。
今でも、言い訳が「良いことだ」とは思わないが、私の考えも硬直的すぎたと思う。
「悪いと思うのなら、謝れ」「悪いと思うくらいならドタキャンはするな」は正論だけれど、「話し合う」というのは、正論を突きつけて相手をねじ伏せるためにあるのではない。相手の気持ち・立場を理解することで、「許し」「気づき」が得られるということが、大事なのではないか? あるいは、今後の過ごし方を、一緒に考えていくということが、大切なのではないか?
今になって、私にもその人の複雑な気持ちがわかるようになった。
悪かったと思うからこそ、言い訳をするのだ、ということ。
悪かったと思うからこそ、こちらのちょっとした反応に、いちいち「許さない」という意味合いを感じ取ってしまい、言い訳の程度が過剰になっていったのだ、ということ。
その人の「今、ここで、許してほしい」という気持ちと、私の「これからドタキャンをしないか?を見て、信頼に値するかどうか決める」という気持ちが、すれ違った結果なのだ、ということ。
それが今ならわかる。
だからと言ってドタキャンや言い訳が「良い」とは思わないし、今からその人との仲を修復できるかというと、難しい。その人のパニック状態に立ち会ってしまっているので、恐怖が先に立つ。
ただ、その人が、今現在「他の人にはドタキャンをしない、言い訳をしない」ようになっているのなら、私も救われる気がする。そして私も「自分がされて嫌なことは、人にはしない」という思いを、強く持つ機会をいただいたのだと思える。
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