まだ学生だった頃、ある方の頼みをうけて、とある宝飾店に「お使い」に行った。何か伝言があるとか、そういう簡単な頼みだったと記憶している。
その日は、私は友人と会う約束があって「どうせ出かけるなら、寄ってほしい」という頼まれ方だった。だから、私は普段着で、とくに緊張もせずに出かけた。
しかし、宝飾店にたどり着いたとき、自分がいかに場違いで、失礼で、子供であるかを、思い知らされた。時と場合、場所にふさわしい服装というのはあるし、マナーというものもある。
その当時は、「中高生が、身の丈に合わないブランド品を買いあさる」という風潮が、批判されつつあった。私自身は、ブランド品などにあまり興味がないほうだったのだが、「ほしい人は買えばいいのでは?」と思っていた。
ただ、この宝飾店に行ったとき、「批判する人の気持ち」があまりにもストンと、納得できてしまったのだ。
あれから何年もたった。私はアレルギーの関係もあって、普段は宝飾品をつけられないが、冠婚葬祭のためのマナーとして、いくつかの宝飾品を用意はしてある。指輪など、アレルギーに影響のない、お気に入りのアクセサリーも持っている。
宝飾品を身につけるから、自分の価値が上がるなんて考えは、間違いであって、宝飾品の似合うような、宝飾品に負けないような、素敵な人になろうと思うことが大事なのだと、今ならわかる。自分がまだまだ、そういう素敵な人になれてはいない、もっと努力が必要だ、ということも。
あの日、キラキラ輝いていたお店のショーケースを、今も鮮明に思い出す。
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