私はこの季節になると思い出してしまう、ちょっとつらい思い出がある。
ある日、友人だと思っていた人から「欠陥品」とののしられた。それは私の身体的な特徴をあげて、ひどくののしる言葉とともに、言われた。
私はこのときから「人を信じることで、傷つくということが嫌だ。もう誰も信じるものか」と思うようになった。
こんな私にも、今は信じることのできる人がいる。とはいっても「信じられる」とはどういうことだろうか? 考えても考えても、簡単に答えが見つからなかったのだけれど。
あるとき「私は、他の人には耳のことを話せないでいるけれど、この人にだけは『耳が聴こえなくなったから、嫌われるかも』なんて心配は、一切したことはなかった」と思った。
「信じられる」というのは、そういうことなのだろう。
たった一度だけ「友達になれる?」「なるよ」という会話を交わしただけだけれど、ただずっと信じている。その人が私の世界で一番信じている人。
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