今年の始まりはとても悲しいものだった。
友人が亡くなったことが1つの理由。
彼と私は同じ時期から循環器の治療を受け始めたので、励まし合ってきた。
私のほうが軽く済むと思っていたのに、だらだらと時間がかかってしまい、彼には心配をかけたままだった。
今もきっと、天国で心配しながらツッコミを入れていると思う。
本当にごめんね。
そして、もう1つは叔父が身体障害者の認定を受けるほど体調が悪化したこと。
身体の世話や、経済的な問題よりも、ゴールがどういう形なのか見えないことが、とてもしんどかった。
「自分が、自分の人生をどうしたいのか?」を考えられるようになるなんて、想像もつかない年明けだった。
でも今になれば、友人、叔父、循環器の先生、先生を紹介してくれた他の先生……、色々な人との出会いとかかわりが、大学で学んでいる内容、住まいを移す決断、船舶の免許を取得すること、海へ行くことなど、様々な自分に起こったできごととつながっていることを、改めて感じる。
「悲しかった」という思いは、何も打ち消す必要はない。
「今、幸せなんだから」という思いにすり替える必要はない。
「悲しかった自分」を受け入れられるくらい、大きな器になれればいいのだと思う。
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