自分の腕や脚や骨や、そういうものが心地良く過ごせているのかが気になる。
思い通り動いてくれることが当たり前だと思っていたけれど、今は私のせいで腕や脚や、そういう部位が苦しんでいるとしたら、申し訳ないと思う。
毎日、毎日、体のどこかを触ると違和感があった。
「あれ? こんなに細くなってるなんて。昨日はこんなに細くなかった」
って、気持が悪かった。
この2週間ほど、そういう違和感がなくなって、「昨日もこのくらいだった」と思える。
きっと、これ以上、痩せていくことはないんだろうな。
前に予想が外れているから、絶対とはいえないけど。
今は、腕や脚や関節が思い通りに動いてくれるだけで、もう十分だし、ありがたいことだと思う。
でも「動いてくれるのが当たり前」「そこに在ってくれるのが当たり前」と思っていると、色々な欲求が出てきてしまう。
「もっと長い脚が良かった」
「もっと大きな胸だったらいいのに」
とか。
人間関係でも同じだし、物に対してもそんな風に思うことがある。
今のように「在ることへの感謝」「動いてくれることへの感謝」を、1日でも長く感じていられたらいいのに。
いや、自分自身が「在ること」「動いてくれること」について意識していかなければならないんだ。
自分の体にも、物にも人に対しても。
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