一番、大切に思っていた祖母が、ひどい言葉を遺していたことを知った。
祖母は私のことが、そんなにも嫌いだったのだ。
祖母の介護について、私が心のなかですごく頼りにしている人がいた。その人が初めに私に笑ってくれた、そのときの笑顔がとっても大切だった。
人生のなかで、一時は何よりも優先した介護が終わってから、私の耳は正常に働いていなく、卵巣の機能ももう正常ではない、と分かった。治療や症状がつらくて泣いたことがいっぱいある。
そのたびに、大切な人の笑顔を思い出して「耳のことと卵巣のことでは、もう泣かない」と決めた。
今度ばかりは、あまりの言葉に涙があふれて、その人の笑顔すらも流れてしまった。
精神科のL先生に「耳が聞こえなくなって、卵巣の働きもおかしくなって、仕事を切られたこともあって、その上こんなにひどい言葉を言いふらされていたと知って『介護を一生懸命やった結果がこれなのか』と思ったら、バカみたいだ」と話した。
「僕がふゆうさんの立場だったとしてね。この言葉がすごいショックや、ということはよく分かります。それは、たまらんやろうなって思いますよ」
「感情というのは、永遠に続くものではないですからね」
「介護を一生懸命やったことは、すばらしいことやと思いますし、その事実が消えてなくなるわけではないですよ」
と話しかけてくれた。
私が涙を流すことで、L先生を困らせてしまうことは、よくわかっていた。
それでも、どうしても。。。我慢できなかった。。。
祖母は私のことが、そんなにも嫌いだったのだ。
もう広まってしまっているその言葉を取り消すことは、私自身には不可能だろうし、故人に訂正してもらうわけにもいかない。これからは、祖母の言葉を聞いて先入観を持っている人たちの、好奇と偏見、蔑みと憐れみの目にさらされて、生きなければいけない。
そんな言葉を跳ねのけることができるくらい、私は強くなれるだろうか?
大好きだった人に、そこまで嫌われていたという事実を、私は受け入ることが、できるだろうか?
[0回]
PR