その時、私にとって、かなり頑張らなければ対応できないことが続いていた。
仕事が終わってから、真冬の冷たい水で顔を洗って目を覚まし、対応しているような状況だった。
そのような時期に、
「くよくよせず、気楽に過ごせということですね」
という言葉を、発した方がいた。
この言葉で、私の「最後の一葉」が落ちてしまった。
「これだけ頑張っても、きちんとできない」と、私自身が悩んでいるときだったためか、
「どうせ、きちんとできないんだから、頑張らなくてもいいんじゃない?」
「あなたの頑張りがなくなったとしても、世間的には大したことはないんだよ」
と言われたような気がして。
そして、私は頑張れなくなった。
何をしていても、勝手に涙があふれてくるし、食欲なども全然なくなった。
いくら冷たい水で顔を洗っても、対応はどんどん遅れていく。
一方で、自分のおかしさにも気づいてはいた。
普通に考えたら、「くよくよせず」「気楽に」という言葉に、そんな悪意があるとは思えない。
「頑張りすぎてつぶれたら、元も子もないよ」
という意味だったのかもしれない。
悪い意味や、自分を責める・バカにするなどの意味に受け取ってしまう自分は、その時点で相当の辛さや疲れをため込んでいるんだなと気づいた。
先に「『最後の一葉』が落ちてしまった」と書いたけれど、まだ「気づく」だけの力は残っていたのかな?
それとも、もう壁には一枚の葉っぱも残っていないのだろうか?
これから先、私の発した言葉が、状況や受け手の事情などによって、私の意図とは全く違う形で届くことも、あるかもしれない。
細心の注意を払ったとしても、私のだけの力でそのようなトラブルを防ぐことは不可能だと心しておきたいし、できるものなら精いっぱいのフォローをさせて頂けたらと思う。
[0回]
PR