もう何年も前のこと。私が、ショッキングな出来事に愕然としていた時、様々な相談に乗ってくれた人がいる。
何年も経ち、その人に直接、心配をかけた事象は既に解決している。それでも「この方にとって『ふゆう=愕然としている』という公式が常にあるんだな」と感じることがある。いわばその瞬間で、その人の中の「ふゆう」という時計は、止まってしまっていて、少し進みはじめても、針が重かったり歯車が足りなかったり、様々なことがあって「やたら動きにくい時計」なのだろう。
それほど、強烈な出来事に出くわしたから、とも言えるし、私の態度があまりにも頼りなく、毅然という言葉とは程遠く、ただ愕然として凍りつくことしかできない子供に見えたのだろう。子供に「しらない大人についていってはいけない」「簡単に住所や名前を教えてはいけない」「危機を感じたら大声で叫ぶ。逃げる」と教えるが、私はでかい身体をしながらこんなこともできない子供であった。
きっとまだまだ時間はかかる。大丈夫だという時間を積み重ね信頼を再び得るには、それなりの時間がかかる。
しかし、電池切れなどで、針の止まった時計も、電池を入れ換えたり、時刻を合わせりする作業をすれば、また動き出す。
その人の中で、止まった時計のような存在である私。これから何度でも、電池を交換して、針や歯車を修理して、動かしてみせるしかない。
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