どうしても、自分の事情を優先してしまう。忙しさとか、体調とか。
「こちらの事情も分かって欲しい」
そういう自分が増えていくと、ますます自分を嫌いになるのに。
でも、「こういう風になりたい」という目標ができた。
それは「こうしては、いけない」という言葉より温かい気がする。
自分を嫌いになって終わるだけでなく、不完全な自分をどう変えればいいか、考えられる感じがする。
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介護が終わって燃え尽き症候群に陥っていた時、ある人が言ってくれたことを思い出す。
「一つ確認したいんやけど」
「はい」
「これまでの介護について、御礼のような言葉って、誰かに言ってもらったん?」
「『孫に面倒見てもらって、おばあちゃんは幸せやったやろうね』とか……」
「それは、おばあちゃんの幸せやねん。じゃなくて、ふゆうさんに『ありがとう』『お疲れ様』とか言ってくれたんかってこと」
「……それは、思い出せない。。。」
「あのな、ふゆうさんが『仕事に復帰しないと』『治療を頑張らないと』とか言うのはわかるねんけど、それよりもまず傷口を縫わんといけない」
「縫う。。。」
「それが、『長い間、お疲れ様』『今まで、ありがとう』という言葉やと思うねん。ふゆうさんが『仕事に復帰しなくちゃ』『勉強もしなくちゃ』という気持ちは分かるけど、それって傷口開いたまま、新しい血液や水分を取り入れるようなもんや。そのままやったら、傷口からどんどん失われるだけやで」
「そう、かな」
「せめて、自分で自分に『よく頑張った!』って言ってやりや?」
「でもお腹の中に、どろどろした黒い感情があるんです。なんで、自分だけが負担をしなければならないのかって。とても口に出せないようなひどい言葉が、自分のなかをぐるぐる回ってて、そんな自分がいけないと思う」
「俺は、いけないとは思わん。だって、ふゆうさんの腹の中に何があるかなんて、俺からは見えへんもん。俺に見えてるのは、おばあちゃんのために一緒に暮らして、おばあちゃんが入院したら、ずっと病院へ通って、人工肛門のことも全部できるやろ? そういうことだけやもん。だから、自分を許してやりや」
「はい」
「で、俺が『よく頑張ったなぁ』って言うことで解決するなら、なんぼでも言う。でもな、他人の立場からすれば『お疲れ様』『少し休んだら?』とかって言うのは、言いづらいねん」
「なぜ?」
「たとえば『ありがとう』は、他人の俺が言うのは変やし、『お疲れ様』にしても、万が一にも『これで介護から解放されますね!』ってニュアンスに受け取られたら、不謹慎だってことになるやろ?」
「はい」
「それに『少し休んだら?』は、俺らも事情の分からない人から言われると、腹立つことがあるから、安易に言えないなぁと思う。まぁ、ふゆうさんとこの事情は、俺に話してくれてたっていうこともあるし、そういう言葉を間違って受け取られることはないと思うけれど」
時間はかかったけど、これらの言葉を咀嚼して、自分のものにすることができたと、思う。
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