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普通の日はないんですか!?

「大きな波に流されるのでも、逆らうのでもなく、波に乗って進みなさい」と、教えてくれたのはあなたでしたね。

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【最終回】一条ゆかり「プライド」

こ、この結末は…。全身の力が抜けた…。

なんか宮脇明子「金と銀のカノン」を思い出した。こちらは読み終わったら全身が冷や汗びっしょりだった。

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「愛情でとろけそう」だと聖夜に想う(追記:食事介助への思い入れについて)

■先に解説をします

この記事は、あえて恋愛モノっぽく書いていますが、違います。大切な人=恋人とかではありません。

一度でも、食事を作った経験のある方には、自分の作った料理が生ゴミとして捨てられることが、どれほど悔しいか、おわかりいただけるでしょう。
認知症や、手や腕のコントロールを失っていて、こぼしてしまうといった場合でも、ゴミに変わり果てた料理を、ただ眺めるしかないその悔しさは、並大抵のものではありません。だからこそ、私には食事介助に特別な思い入れがあって、たとえ一口でも食べてもらえると嬉しかったです。

ところで、食事介助は「私が悔しい」「被介護者がいらだつ」という個人の好みの問題ですが、薬だけは個人の好みとか言ってられません。医師の指示通り飲ませなければ、治療契約違反です。
本当は本人に納得して飲んでもらうのが一番ですが、そんなことを言っていられないので、騙してでも飲ませることになります。

そして私は、長い間、両親とご飯を食べることが、ありませんでした。介護を優先していたので、両親には冷えた料理ばかり食べさせることになり、申し訳なかったです。両親とご飯を食べることに慣れたのは最近のことですし、両親が手話を使う私にようやく慣れて、手話がわからないながらも受け入れようとしているのも、やはり最近のことだと思います。

「飲ませる」「食べさせる」「料理をふるまう」ということに、特別な思いがあることは、おわかりいただけると、とても嬉しいです。

これから先も、友人や(もしできるなら)恋人に、食事をとってもらうことは、私は嬉しいだろうし、手をかけた料理やお菓子を、食べてもらいたいと思います。


この記事に登場する「大切な人」は、大変失礼ながら、それなりの年齢の方なので、介助とかって言葉を嫌だと思うかもしれないんですよね。それであえて、怪しい書き方をしたんですが、あまりに怪しすぎたんで、解説の文章を付け加えることとしました。

本文より長い解説をお読みいただき、ありがとうございました。



私にとって大切な人の誕生日がくる。その人はきっと、クリスマスとお誕生日を一緒に祝われてきたのだろう。

おめでとうの手話は「つぼみが花開く感じ」だ。手のひらを上向きにして5本の指を閉じ(じゃんけんのグーのような感じ)、手を上に上げながら指5本を開く。これを両手でやって「心から祝福しています」という笑顔を添えること。

おめでとう (両手で笑顔でやってください)

上に上げながら 

私は愛情表現の一つとして「自分の作った料理やお菓子を、大切な人に食べてもらう」ことが、とても好きだ。もしも許されるなら、スプーンをその人の口まで持っていって、あるいはお菓子を口元までもっていって、「あーん(はぁと)」とかしたいなぁ。 ← お前の頭は平気か?

そこまでは難しい場合も多いので、せめて日持ちのするお菓子をお渡しして「食べてね」って、瞳をウルウルさせてお願いするしかない。

愛情がほしければ「自分は愛に満たされている」と思い込むことが必要だそうだ。だからがんばって思い込むよ。
「私は愛情に満たされていてとろけそうだ」とか。 ← お前の頭は平気か?

お誕生日、おめでとう!! そしてメリークリスマス!!

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「言い訳すること」は良くないが、気持ちはわかるようになった。

知人でよくドタキャンをする人がいた。その人は「ドタキャンは悪いこと」という認識はあったようだ。

ドタキャンをしたら言い訳をする。時には過剰なほど。

言い訳をするという行為そのものは、よくないかもしれない。ただ「言い訳もしない」ということに比べたら、「悪かった」という気持ちが現れていたように思う。言い訳もしないのは、「ドタキャンをしてもかまわない相手」「許してくれるのが当然」だと思っているからだろう。

また、私のことを「いい加減に扱ってもいい相手」だと思っていたのではなく、その人の性格だったのだと思う。私もその人も、年齢が若かったので、ドタキャンがどれほど重要な意味を帯びたことか、理解していなかったのかもしれない。

結局はその人が、言い訳をしているうちに激高して、パニック状態になったことがキッカケで「もう会うことも話すこともできない」と、私から宣言することになった。

今でも、言い訳が「良いことだ」とは思わないが、私の考えも硬直的すぎたと思う。
「悪いと思うのなら、謝れ」「悪いと思うくらいならドタキャンはするな」は正論だけれど、「話し合う」というのは、正論を突きつけて相手をねじ伏せるためにあるのではない。相手の気持ち・立場を理解することで、「許し」「気づき」が得られるということが、大事なのではないか? あるいは、今後の過ごし方を、一緒に考えていくということが、大切なのではないか?

今になって、私にもその人の複雑な気持ちがわかるようになった。
悪かったと思うからこそ、言い訳をするのだ、ということ。
悪かったと思うからこそ、こちらのちょっとした反応に、いちいち「許さない」という意味合いを感じ取ってしまい、言い訳の程度が過剰になっていったのだ、ということ。

その人の「今、ここで、許してほしい」という気持ちと、私の「これからドタキャンをしないか?を見て、信頼に値するかどうか決める」という気持ちが、すれ違った結果なのだ、ということ。

それが今ならわかる。
だからと言ってドタキャンや言い訳が「良い」とは思わないし、今からその人との仲を修復できるかというと、難しい。その人のパニック状態に立ち会ってしまっているので、恐怖が先に立つ。
ただ、その人が、今現在「他の人にはドタキャンをしない、言い訳をしない」ようになっているのなら、私も救われる気がする。そして私も「自分がされて嫌なことは、人にはしない」という思いを、強く持つ機会をいただいたのだと思える。

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【改稿】思えばめっちゃ失礼な話だが(その2)

2009年5月ごろ、この記事を書いていました。

■思えばめっちゃ失礼な話だが
http://www.mypress.jp/v2_writers/fuyuu/story/?story_id=1820912

私は「愛してるんですね」と、簡単に言ってしまう。その理由については、近いうちに分析するときが来る予定だ。

で、昨日もその調子で、言ってしまった。T先生ごめんね。でも、S先生には謝らない。

「ふゆうさんは、S先生にもう会った?」
「うん、会った! T先生は会えましたか?」
「会えたよ。会ったときに、すぐ分かったから、顔見合わせて、にっこり笑ってん」
「そうなんですか(笑)」
「それで、なんかな、昔から知っている人みたいやなぁって思っててん」
「そうなですか」
「S先生は、もともとこの病院にいてはったから、昔のこととか話してもらっててん」
「そうなんですか、それなら愛しあうようになるのも、すぐですね」
誰がっ!? だぁれぇがぁ!!

■2009年12月22日追記
口話では言えなくても、これならできるよね?

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あなたはやっぱり強い人だ。

その人と知り合ったのは、8年も前になる。まだまだ子どもだった私のキャラにあわせて「ふゆうちゃん」と呼んでくれることが、とても好きだった。

その人は私の中で、強くて、大きくて、頼りになる存在だった。

あれから8年以上が経ち、出会ったばかりのその人と、同じ年齢になった。今の自分が、その人と同じような「強さ、大きさ、頼りがい」を備えているかというと、全くもう足元にも及ばないと改めて思う。

最近になり、その人が「自分にも悩みや迷いがある」と、私に話してくれたときに「この人は、やはり強い人だ」と思った。

「ふゆうにとって、頼りになる、大きい人」でいることのほうが、はるかに簡単だっただろう。「そうではない、私だって生身の人間だ」という姿を、あえて見せてくれたこと。それは「芯にもっている強さ」の表れだと思う。

このたびのアクシデントは、思いもよらない急な出来事だった。私も、その人も対処しきれなかった。「対処しきれなかったことを、悔やんでいる」と話してくれたその人を「こうやって話してくれるのは、やっぱりあなたが強い人だから」だと思う。

ありがとう。これからも、一緒にやっていけると嬉しい。

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