着なくなった服を思い切って整理した。
古い下着も捨てた。
それから数か月たって、やっと新しい服を買う気持ちになった。
いや、この数か月というものは、私にとって激動の時期だったから、
「洋服なんて、清潔で無難なものであればよい」
という程度の認識しか持てなかったのは事実だ。
しかし「激動」という感じが落ち着いてくると、
「今の自分を、他の人が見たらどう思うだろうか?」
ということにも気が回るようになるものだ。
今年は縞々の服を着ている人が多い。
そして、縞々の服も「縦縞のみ」「横縞のみ」みたいなものではなく、縫い方の工夫が凝らされていて、素敵なものが見つけられる。
こんなにワクワクしながら服を選んでいる自分には、やっぱり女性の部分が息づいているんだなと思う。
女性であるから、身体が痛い。
女性であるから、乳房を切るのかどうか迷わなければならない。
そんな思いが強かった時期もあった。
仕事や体力のいる作業で、男性との違いに落ち込んだ時期もあった。
そして、すっかり生活の一部になりつつあるヨットの世界も、想像以上の男性社会だと気付いて、足が竦んだこともある。
それでも、先輩方に構ってもらい、励ましてもらい、厳しく接してもらううちに、女性独特の線の細さや着替え・トイレなどで気を遣う部分も含めて、受け入れてくれることに安心した。
自分の中に「女性である自分」がいる。
「病気であって、身体が痛む自分」がいる。
それがとても自然だと思えることに感謝したい。
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