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普通の日はないんですか!?

「大きな波に流されるのでも、逆らうのでもなく、波に乗って進みなさい」と、教えてくれたのはあなたでしたね。

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「メールアドレスを変えました」

>○○@□□□です。携帯電話を代えたからです。

わかった。それはよくわかったから、名乗ってくれぇ・・・。

その人のメールアドレスには、ある有名な学者さんの名前が使われていることがほとんどなので、名乗らなくてもわかるといえばそうなんだけど。。。

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「ウルトラマンを信じる心」と「神を信じる心」

昨年、公開された「大決戦!超ウルトラ8兄弟」。正直言って、あれを見終わった直後には「記憶から消してしまおう」と思った。いいところもいっぱいある映画なんだけど、まぁ、観た人には「消してしまおう」の理由が分かっていただけることと信じて、ここでは触れないことにする。それでもしっかりパンフレットを買っている自分が切ないな。。。

ちなみに、私の感想は↓↓↓
「大決戦!超ウルトラ8兄弟」を観た
http://www.mypress.jp/v2_writers/fuyuu/story/?story_id=1769667

最近、江原啓之さんの本を読んでいて「神を信じる心」という言葉が出てきた。
「大決戦!超ウルトラ8兄弟」にも出てきた「ウルトラマンを信じる心」という言葉を思い出した。

昭和から平成へと続いてきた「ウルトラマン」シリーズで、重要な問題として取り上げられるのは「人間が懸命に戦わなくても、ウルトラマンが助けてくれるんだから、いいじゃないか」と人間の心が変化してしまう、ということ。これをどう解決していくかは、シリーズごとに異なる。

この問題に、シリーズのテレビ放映中、ずっと通して真正面から取り組んだのは「ウルトラマンガイア」だったのではないか? テーマソングの「ギリギリまでがんばって ギリギリまでふんばって」という印象的な歌詞が、今も私の心に残っている。

江原啓之さんの本を読むと「神や守護霊とは、なんでも助けてくれる存在ではない」「『見守られている』と信じることで、あなたは孤独ではなくなる」ということを説いている。「ウルトラマンを信じる心」と共通するものがあるな、と思った。

私にも「私は孤独ではない」と思えた瞬間がある。それは、誰かが私のノートに書き込んでくれた言葉を、後になって読み返したときや、高価なものではないけれど、大切な人が私に贈ってくれた物を手に取ったときや、あるいは心に大切な人を思い浮かべるときなど。
決して「誰かと直接に向き合うとき」だけが、孤独を癒してくれるのではない。

「僕たちはきっとつながっている」と歌うのは確かウルトラマンコスモスのテーマソング「Spirit」だったが、そういう「つながり」を実感できるときだな、と改めて思う。

「ウルトラマンと僕たちはいつも、深いところでつながっている」と思うこと。
「神や守護霊と私たちは、いつもつながっている」と思うこと。
大切だなぁと思う。

ご存知の通り、もうすぐ「大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説」が公開される。私はレディースデーの恩恵を受けられる日に、見に行くことにしている。楽しみだ。近くの映画館がつぶれてしまったので、ちょっと足を延ばさなければならない。

公式サイト
http://wwws.warnerbros.co.jp/ultra-legend/

今度こそは「記憶から消したい」なんてことはないだろう。と信じる。。。信じたい。。。きっと、だいじょうぶ・・・・・・。

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今度はちゃんと書けたよ!

091205_1750~01.jpg
書けるのが普通です。

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自分にだけは、違和感なく「ろくでもない」と思えます。

思えば、このテーマでじっくりと、精神科のL先生と話したことはなかった。今が、話すチャンスだと思う。だから会話用のノートに書く文章を考えていた。

ここから)−−−−

私は、耳が聞こえないことで、人に迷惑をかけたり、体調が悪く、家族に家事を代わってもらうときなど、「祖母(故人)の言うとおり、ろくでもない人間になったんだから、それでいいじゃないか」と思ってしまいます。

24時間ずっと「ろくでもない」と思って、身動きが取れない、ということはないです。誰かが「ろくでもない」と言いがかりをつけてくるとか、幻聴が聞こえてくるということでは、ありません。
「自分が他人に迷惑をかけた」と感じるときに、「祖母の言うとおり、ろくでもない人間になったんだ」と思います。

もしも私の友人や身内などが、心身に障がいや怪我を負ったとして、「ろくでもない人間になったなぁ」とは思わないだろうし、そんなこと思っていたら、祖母の介護もできなかったと思います。

自分にだけは、違和感なく「ろくでもない」と思えます。

先日、☆☆☆ということがありました。このような、つらいことがあったとき気持ちをおさめるため、納得するために、「私はろくでもない人間なんだから、仕方ない」と思うのは、おかしなことなんでしょうか?

ここまで)−−−

他人がこのように思っていたら、とめる。「そんなことはない。あなたが生きているということだけで、すばらしいことなんだから」というだろう。

でも私には「祖母の言葉を超えるだけの力がない」と思える。祖母の言葉を打ち消すことができるだけの、すばらしい点が自分にあるなんて、思えないんだ。

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恐ろしい夢を見た。本当に夢でよかった。

今朝、目が覚めたときの気分は最悪だった。動悸がして、胸をかきむしりたいような不安と吐き気、そして冷や汗をたくさんかいていた。

それは、私のとても大切な人が、生命にかかわる病気になってしまった、という夢。

私は色々な物事の影響で、自分をいつしか「ろくでもない人間だ」と思うようになっていた。もしも「満たされている心の形」というのが「球形」だとしたら、私の心の形は、常に外側からえぐられた穴ぼこが、一杯あいているような形だと思う。

心を球形に戻すには、外から与えられる何かでは、その穴ぼこを埋めることはできない。「自分の心が満たされること」でしか、修復ができないのだ、ということが、ようやくわかるようになった。

「外から与えられる何か」を受け取ることで、一瞬だけは安心できる。でも決してそれは、永遠の安心をもたらしてはくれない。たくさんのものを買い込む人、酒をたくさん飲んでしまう人、過剰な賞賛を常に要求する人、あるいは怒りで周囲を圧倒してコントロールすることで安心する人、さまざまなケースがあるだろう。しかしそれらは決して「永遠の安心」をもたらしてはくれないから、もっともっとと求め続けることになる。

私の大切な人が、万が一本当に重大な病気や怪我で、この世をあとにしてしまったときに、以前の私ならば「私も一緒に行く」と考えていたかもしれない。でも、それは違うと、今はわかる。

大切な人には幸せになってほしい。それは、相手も同じだと、今はわかるから。きっと「私は天国へ行くけれど、あなたは生きて幸せにならなきゃだめだよ」と思うのが、大切だということ。

私の大切な人は、決して長々と説教をするタイプではなかったけれど、こういう大切なことを私に、教えてくれたんだと思う。

それでも、今朝の夢は本当に恐ろしい夢だった。

人間は「夢でよかった」と思うために、夢を見るのだと聞いた。
いい夢だった場合には「いい夢でよかった」と。
悪い夢だった場合には「あんなことが現実でなく、夢でよかった」と思うためなのだと。

本当に夢でよかった。

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