今朝、目が覚めたときの気分は最悪だった。動悸がして、胸をかきむしりたいような不安と吐き気、そして冷や汗をたくさんかいていた。
それは、私のとても大切な人が、生命にかかわる病気になってしまった、という夢。
私は色々な物事の影響で、自分をいつしか「ろくでもない人間だ」と思うようになっていた。もしも「満たされている心の形」というのが「球形」だとしたら、私の心の形は、常に外側からえぐられた穴ぼこが、一杯あいているような形だと思う。
心を球形に戻すには、外から与えられる何かでは、その穴ぼこを埋めることはできない。「自分の心が満たされること」でしか、修復ができないのだ、ということが、ようやくわかるようになった。
「外から与えられる何か」を受け取ることで、一瞬だけは安心できる。でも決してそれは、永遠の安心をもたらしてはくれない。たくさんのものを買い込む人、酒をたくさん飲んでしまう人、過剰な賞賛を常に要求する人、あるいは怒りで周囲を圧倒してコントロールすることで安心する人、さまざまなケースがあるだろう。しかしそれらは決して「永遠の安心」をもたらしてはくれないから、もっともっとと求め続けることになる。
私の大切な人が、万が一本当に重大な病気や怪我で、この世をあとにしてしまったときに、以前の私ならば「私も一緒に行く」と考えていたかもしれない。でも、それは違うと、今はわかる。
大切な人には幸せになってほしい。それは、相手も同じだと、今はわかるから。きっと「私は天国へ行くけれど、あなたは生きて幸せにならなきゃだめだよ」と思うのが、大切だということ。
私の大切な人は、決して長々と説教をするタイプではなかったけれど、こういう大切なことを私に、教えてくれたんだと思う。
それでも、今朝の夢は本当に恐ろしい夢だった。
人間は「夢でよかった」と思うために、夢を見るのだと聞いた。
いい夢だった場合には「いい夢でよかった」と。
悪い夢だった場合には「あんなことが現実でなく、夢でよかった」と思うためなのだと。
本当に夢でよかった。
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