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普通の日はないんですか!?

「大きな波に流されるのでも、逆らうのでもなく、波に乗って進みなさい」と、教えてくれたのはあなたでしたね。

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アルコールへの依存傾向

2008年9月28日、一通のメールが届きました。「めまいの待合室」という本が出版されるという内容のメールでした。

めまいの待合室の画像 めまいの待合室 北原 糺

ちなみに、ポリッツァー学会のページに、この先生の写真が掲載されています。こちらのほうが本物に近いように思います。書籍は単色刷りの写真なので、限界もあるのかもしれませんね。
http://www.politzersociety.org/Previous/Cleveland.htm
写真に写っているとおり、K先生は本当に気さくで優しい先生です。私はこんなすばらしい先生に、内リンパ嚢開放術を施術していただいたのだ。これからも、自分なりの情報発信を続けて、K先生や他の患者さんのお役に立てるよう、私の力など微々たるものだけれど、それでも頑張ろうという思いを新たにしました。

こんなすばらしい先生に、コーヒーにかつお節を入れると・・・、とか話していた自分が恥ずかしい・・・。


10月1日、久しぶりに会ったSさんは、意外なことを言いました。

「酒、飲みすぎてるやろ」

図星、とはいえないまでも、痛いところを突かれたのは事実でした。私はこのとき、日本酒2杯とビール1本は必ず飲んでいたように思います。Sさんは言いました。

「私が心配しているのは、量やないねん。今の量そのものは、すぐに大問題になるっていう事はないと思う。ただ、段々酒量が増えていたところや、酒がなければ料理用の酒を無理やり開けてでも飲む、というふうになってきたところが、問題やったと思う」
「やっぱり、そうですよね」
「あのな、アル中(アルコール依存症)の人ってな、ヘアトニックでも飲むっていう場合がある」
「えぇえ!!」
「まだ、料理用の酒をあけて、というくらいなら、可愛いもんやと思えるけど、やっぱりそこで『ないから我慢するか』っていうのが普通やんか」
「はい」
「我慢できんからって、料理用の酒を空けて飲む、っていうのは、ちょっとやっぱりな」
「はい」
「まぁ、コンビニに行ってこよ、と思って服でも着替えてるうちに冷静になれるかもしれへんから、まぁ、今後は、我慢するかコンビニに行くか。料理酒はあけない!!」
「はい!!」

そういう約束をしました。

メニエール病を重症化させてしまう患者には、真面目で几帳面、細かいことを気にするという性格の傾向があると言われています。これは悪く言えば、頑固で融通が利かず、とことんまでやり抜かなければ気がすまない、ということの裏返しでもあります。

いったん酒を飲み始めると、真面目に几帳面に、酒量が増えていってしまう。そのままでは、下手をするとアルコール依存症に陥ります。

ちなみに、アルコール依存症をはじめ、様々な依存症になる人というのも、真面目で向上心が強く「こうあるべし」と自分を縛ってしまうタイプが多いといわれています。

とはいえ、救いの道もあります。それは、依存症に陥る手前で他人から「それはおかしい!!」と指摘されることです。

「昨日、初めて酒に接した人が、今日すぐに依存症になる」ということは、ありません。初めて酒を飲んでから、依存症に陥るまでのどこかで、誰かに「おかしい」と指摘される機会があれば、我に返ることができるかもしれないのです。

しかし、いったん「アルコールしか見えない」状態になって、家族や友達との絆が断ち切られてしまったら、誰も「おかしい」と指摘してくれる人はいなくなります。

私にもこのとき、そうした危険性が大いにあったと思いますが、Sさんに指摘されたことは、本当に幸いでした。

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独りになるということは

2008年9月17日、精神科の先生から「独りになる」ことについて、注意を促されました。

「脅かすわけではありませんが、少し注意してほしいことがあります。家に独りで過ごす時間が長くなるわけですし、女性が一軒家で生活をするということは、結構こわいものです。そのために、一時的に不安が強くなったり、不眠になったり、パニック障害が悪化したりする可能性もあります。そういうのは、必ず良くなりますから、少し注意して生活してくださいね。無理はしないように」

今となっては、このお話をもっと真剣に、受け止めていればよかったと、反省することが多いです。

実際に、吐き気がする、不安が強い、という書き込みが、基礎体温表や喘息手帳に増えています。ナウゼリン、デパスなどを服用しながら、なんとか乗り切っていたようです。

そして、独りで過ごすということは、会話というものをしないので「難聴になっても、気づかない」ということでもありました。

10月1日に、Sさんという人のところへ、会いに行く約束をしていました。Sさんは外科のお医者さんです。

実は、祖母が入院する3日ほど前、Sさんに会って話していました。Sさんがお医者さんのためのカラー写真がふんだんに掲載された本を出して、内臓の写真などを見せてくれました。その中に「穿孔した腸の写真」があったようです。

Sさんは後に「おいおい、私があんな写真を見せてしまったから、おばあちゃんが悪くなったんやないんやろな?」と、ちょっと気にしていたとおっしゃいました。

久しぶりに会えるSさんに、「時期的に自分の誕生日の直前なので、誕生日おめでとうって書いてもらおう」と勝手に決めて、楽しみにしていました。

Sさんと会う約束をしてから、実際に会うまでの期間、私の記録は頓服薬の服薬内容しか書かれていません。これは「体調が悪い」ということを、意識するのが怖かったのです。会う約束を、体調のせいで守れなくなったら、すごくすごくすごく残念だから、なるべく頭から排除しようとしたのだろうと思います。ただ、鎮痛剤を何度も重ねて飲んでしまうといったことは、あってはならないことなので、「何時何分、ボルタレンSR」とかのメモだけは書いてあります。

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誰かへ、何かへの依存とメニエール病

2008年8月30日、ノアルテン-Dを服用しているにも関わらず、予定外の時期に消退出血という現象が起こります。9月4日まで、基礎体温の変化を観察しながら、ホルモン剤の使用について考える予定でしたが、消退出血が起こってしまっては、どうしようもありません。

2008年8月31日、母方の祖母は永眠いたしました。

9月1日に通夜、9月2日に葬儀を行いました。

9月3日、喘息の先生と精神科の先生に、普段どおりの診察と、あと祖母のことで心を砕いてくださったお礼を申し上げました。祖母の入院の間に「デパスを出して」「ドグマチールを出して」とわがままを申し上げました。「看病が終わるまで」という約束で聞き入れてくださった先生方に、心よりのお礼を申し上げました。

9月4日、婦人科の先生に会ったとき、真っ先に「ごめんな、先生」と言ったことが、今でも思い出されます。

「どうしたん? ノアルテン-Dの使い方、間違えた?」
「祖母が亡くなりました」
「あっ・・・それは・・・しょうがないわ。基礎体温表つけてるどころやないやろ」
「はい」
「よう頑張ったな。ほんまによう頑張ったよ」

抗うつ剤「ドグマチール」は、わりと安心な薬ではあるのですが、乳汁分泌を促してしまったり、生理不順になったりするという副作用があります。婦人科や外科(乳腺)で治療を受けている私は、「できるだけ早く、ドグマチールを止める」という約束を交わした上で、この薬を使用していました。実際にやめたのは9月11日と記録があります。

両親が、忌引きをとって家にいた間は、そうでもなかったのですが、本当に家に一人取り残されると、たくさんの戸惑うことが出てきました。

私は介護をすることで、祖母を支えていたつもりでした。自分のことは後回しにして、祖母のことを優先してきたつもりでした。

しかしそれは「介護するということへの依存」ではなかったのかと、今となっては思います。昨年の暮れ頃になって、自分の思いを書いた記事がありますので、もう一度ここにコピーしておきます。

自分を抑えて他人の欲求を優先させる。それが本当に「献身」と呼べる行為ならば、すばらしいことかもしれません。しかし、メニエール病を重症化させてしまう人のなかには「他人からの賞賛を期待する」という傾向があるということも、知られています。この記事を読み返すと、私は自分でも、そのことに気づいていたのだろうと、思います。


■介護に依存するのではない生き方が、できるだろうか?

祖母の生前中、いつも「祖母がこの料理を食べられるか」という基準で、献立をきめていた。新しい家電製品を買うとき「祖母が使い方を憶えられるか」という基準で、選んでいた。「祖母ができないことは、自分がやる」という基準で、行動をきめていた。

突然「今日からは、何を作ってもいいよ」といわれると、何を作っていいか分からなくなった。「今日からは、あなたが使いやすい家電を買っていいよ」といわれると、選べなくなった。「今日からは、全部自分の裁量でやっていいよ」と言われても、どうやって手を抜いていいのか、どこまで完璧にやったらいいのか、分からなくなった。

ご飯は、祖母と食べることが当たり前だったので、両親とは残念ながら何年も、一緒に食べたことがなかった。だから突然、両親と自分が食卓を囲むことになっても、どうしたらいいのか、まったく分からなかった。どういう顔をして、何を食べて、どのくらいのペースで食べ終わったらいいのか、まったく分からなかった。

「祖母の介護・介助をする」といえば、聞こえはいい。

ただ、自分の場合には介護という言葉の陰に隠れ、祖母の存在に依存していただけではないのか、と、家事の「程度」に戸惑うたびに思う。

祖母は残念ながら、新しい家電製品を買っても、使い方を憶えられないことが多かった。その分、家族に頼りきりになって生活せざるを得なかった。家族のなかでも、仕事で疲れていて、なんとなくどうしてもきつい言葉で対応する者よりは、普段から一緒にいて、言葉のペース配分が分かっている者に聞くほうが、安心できたという面があるだろう。しかし、あまりにも、祖母から同じことを何度も聞かれるたびに、不安になったこともある。

私がいなかったら、祖母はどうなるのだろう?

祖母への思いをたてに、私自身の判断や欲求を後回しにして、祖母の希望を優先させたこともある。このことは、私自身が祖母という存在に依存していたことの表れではないだろうか。

「まずは祖母のやりたいことを優先させる」

これは一見、美しい行為だけれど、裏を返せば、私が自分の人生を自分で判断しない、という生き方でもある。

今後、親の介護なども、自分にかかってくる。そのときに、介護に依存するのではない生き方が、自分にできるだろうか?

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耳鳴りは始まっていたかもしれない

さて、祖母は泌尿器科病棟に転科をすることになりました。

お医者さんからは「たとえ短期間であっても、家に帰らせてやることはできないか?」というお話もありました。ただ私の正直な気持ちを言えば「以前の祖母と今の祖母は違う。以前の祖母だったら、帰ってきてもらえるとなれえば、喜んで受け入れただろう。だけど、今の祖母は嫌だ。暴言を吐いたり、食事中に食器や吸飲みを叩き落したり、私の仕事をろくでもないと言ったりする祖母は嫌だ」というものでした。

それでも、祖母の余命は数ヶ月。数ヶ月さえ私が我慢できるのであれば、祖母に帰ってきてもらったほうが、良いのでは・・・?

両親の意見もあって、結局祖母は一度も帰宅することなく、8月23日に直接、泌尿器科病棟へと転科しました。癌による疼痛の治療のため、モルヒネを投与されるようになって、ますます訳のわからないことを言うようになった祖母を見て、「もしも祖母を帰宅させていたら、私は祖母を憎むようになっていたかもしれない」と思いました。

2008年8月29日、この日が生きた祖母に私が会った、最後の日となりました。

この日、私自身が外科への通院予定のある日で、親戚に祖母のことを頼んで、私は外科へ行きました。外科のM先生に事情をお話しすると「おばあちゃんが、おなか痛いって言ってから、受診するまでだいぶ時間が経ってるようやな。それでよく助かったなぁ。放置してたら腹膜炎で亡くなってるで。腕のえぇ先生やったんやな」とおっしゃったのを憶えています。そしてM先生はおっしゃいました。

「おばあちゃんの事情は分かったけど、自分の体調はどうなん? いけるんか? おばあちゃん、大変なときなんは分かるけど・・・」

先にも書いたとおり、メニエール病を重症化させてしまう人には、「自分のことは後回しにして、他人のために尽くしてしまう」というところがあります。今思えばM先生のこの言葉は、そうした行動様式への気付きを促してくださっていたのだと思います。

公立病院でM先生の診察を終えて、ガスターとサイトテックを大量に頂き、今後は無理をしないと約束をして、直接、祖母の入院先へと向かいました。親戚はよく面倒を見てくれていたのですが、人工肛門のバッグを変えることを親戚に頼むのは、祖母も気が引けたようでした。頼まなかったために、中身がもれて、看護師さんに交換をしてもらったようでした。そのような事態に付き添えなかった私に対し、祖母は相当興奮していました。

泌尿器科病棟はとても静かでした。ただ、この病院は、増築工事を行っており、つねに「ぎゅぃーーーん」という音が響いていました。この音は、外科病棟でも泌尿器科病棟でも、いつも聞こえており、私にとっては「耳鳴りを消す」という役割を、この音が果たしてしまったのです。

祖母が他界し静かな家で一人、過ごす時間が増えてから、「この音は耳鳴りでは」と気づいたのです。

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