婦人科のT先生と話した。
「そうか・・・、睡眠障害で基礎体温が測れないと」
「うん」
「・・・ふゆうさんと、のりピーってどっちが苦しいかな」
反射的に「のりピーだ」と思った。どうしてっていうのが、わからなかったんだけど。
「しんどさの質は、まったく異なることやけど、どうやろな?」
・・・私は、なんで「のりピーのほうが苦しい」と思ったんだろう?
後から考えると「私には言わない自由がある」「のりピーには、ほとんど『言わない自由』がない」という点ではないかと思った。
私は「心因性だ」と言えば治療を受けられる。どうしても苦しいことは「言わない」ということが可能だ。今日、T先生と話したのは「強要された」わけじゃない。どうしても言いたくなければ「睡眠障害で基礎体温がつけられませんでした」という言い方でも十分わかってもらえる。
のりピーは、黙秘権などもあるとはいえ、言いたくないことも含めて話さなければならない。
今このような「しんどさ」を抱えていることを、私は外に出さないことが可能だ。外見に現れる種類のことではないから、他人に気づかれない、ということも可能かもしれない。たとえば、電車で乗り合わせた他人に気づかれることなんか、ほとんどないだろう。
でものりピーは、外見を見ただけで「のりピーだ」とわかる。それはとてもつらく、たとえ病院に入院した場合でも、人の目におびえながら生活をすることになるだろう。とてもつらいだろう。
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