大切なことは必ずその人に報告していた。
でも、もうしないほうがいいのだろう。
その人は、大切なことを私に話してくれなかった。
何かの間違いだろう、忘れていただけだろうと、必死で自分の中の寂しさを打ち消そうとしたものだ。
でも、間違える、忘れるということは、結局私がその程度の存在だったことの表れ。
現実を見ないために、必死の努力を続けて一生を終るより、一時的には心が痛んでも、現実に足をつけて歩いて行こう。
今も心は痛むけれど、疲れ果てて「休みたいよぅ」と言っていた自分に、「お疲れ様、よく頑張ったよ」と自分で言えるくらい、いつか気持ちが落ち着いてくると信じよう。
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