「Aという人が、ひどいことをした」
という訴えを頂いたとする。
そういうメールなどを私に送ってくる時点で、その人は興奮している。
見ず知らずの他人である私に、そういう訴えをしてくること自体が、「興奮している」ことの表れだ。
興奮ゆえに、メールの趣旨が分かりづらかったり、事実と思いが混同されていたりするので、こちらから何かを聞きなおさなければならないこともある。
そこで問題が生じる。
「聞きなおす」ことは、私にとって反論ではなく、「もっと情報を与えてほしい」というお願いなのだけれど、
「煙に巻こうとしている」
「どうせお前は、Aの味方だろう」
「話すだけ無駄だ」
とキレられてしまうのだ。
初めのうち、私は
「双方の感情をおさめるためには、『誤解を解く』ことが一番大事」
「それができない私はダメだ」
だと思っていた。
でも、なんか「これでもいい」ような気がする。
誤解を解くことができれば、もちろんいいんだけれど。
一番大切なことは
「興奮している気持ちのやり場を見つける」
ことであり、メールを送る人は、「やり場」がAさんとの間で見つからなかったから、私に訴えているのだ。
ご本人の興奮さえおさまれば、
「Aさんの言うことももっともだな」
「自分の言い分にも間違いがあったかもしれないな」
と、ご本人が自分で考えられるだろう。
私が「どうせAの味方」であるのは、多分事実なんだし、それならば私にできることは、ここまでなんだろう。
私が預かった「興奮」は、いつか別の形で発散させればいい。
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