昔、ある人と話し合う約束をしていた。
その日、約束の場所へ行ったら、その人は
「急用ができて、話せない」
とだけ言って、去ってしまった。
急用なら仕方ない。こっちが先約だから何が何でも優先しろとか言わない。
でも、私のことを少しでも気にかけてくれているなら、他のやり方があったと思うのだ。会えなくなったことを、誠心誠意詫びるとか、違う日の約束を改めてするとか。
その人にとって、私はどうでもよい存在なのだと思った。
ところが、その人は
「何が悪いのかわからない」
というのだ。
「完全なすっぽかしではなく、忙しい中で待ち合わせ場所まではいったのだから、いいじゃないか」
「文句を言う前に、他の用事を置いてでも、優先したくなるような人間になればいいじゃないか」
あれから10年以上も経った今、思うのだ。
「待ち合わせ場所までは……」
という部分は、やっぱり同意できない。
約束を破らなければならない時点で、ちゃんと謝ってくれてもよかったんじゃないかという気持ちはある。
ただ、
「他の用事を置いてでも、優先したくなるような人間に」
の部分は、「確かにそうかもしれない、私にも問題があったのかもしれない」と思うのだ。
自分の存在が軽く見られていたと認めるのは、つらいことだけれど。
でも、「軽く見られないために、私の存在意義を認めてもらうために、何ができたのか?」「今の自分には、当時できていなかった何かが、できるようになっているか?」を考えることで、その当時の自分を癒せるような気がする。
「あんな風に置き去りにされるのは、もう嫌だ」と、どこかおびえている自分に、「大丈夫、あのときよりも、色々なことができるようになっているよ」と言ってやれたらいいな。
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