大阪の人間は「ボケとツッコミ」を日常的におこなっていると、思われる向きがある。このことには、「確かにそうだ」とうなずける面がある。
もちろん、仕事の場でボケとツッコミを、常にしていたら、たんなる「アラ探し」の好きな人として、嫌われてしまうことだろう。また、仕事の場には大阪の人間だけではなく、他方面の出身者の方がいるので、空気を読みながら、ボケとツッコミをしなければならない。
一方で、先に「確かにそうだ」とうなずける面がある、と書いたとおり、私の周りにはツッコミ好きな人が、たくさんいる。プロの芸人でなくても、ボケとツッコミが絶妙にかみ合う相手が、見つけやすいというのは、大阪という風土が関係あるのかもしれない。
私は、文章を書くのが好きだ。だからこそ、こうしてブログを更新できる。
これは「自分の書きたい文章を書くのが好き」ということだ。趣味でやっている分には、何の問題もなく、書きたいように書いていれば良い。
ただし、趣味であってもインターネット上で、誰もが読める状態に公開する、ということは「誰が読んでいるか、ということに注意をする必要がある」ということだ。
注意すべき重要なポイントの一つは「自分の書いた文章が、思い込みを与えてしまう可能性がある」ということだ。メニエール病の手術体験を書いたとき、このことを意識するように、耳鼻科のK先生から促され、本当にいい経験をした。
(手術体験談
http://www.mypress.jp/v2_writers/fuyuu_no_mimi/)
そして、自分の考えに賛同してくれる人ばかりではない、ということが一つ。反対意見を受け入れるといった覚悟も、必要となる。反対意見とはいわないまでも、誤字脱字、あるいは事実誤認の指摘を受けた場合や、先に書いた「ツッコミ」を入れられた場合などに、「冷静に」対処をする必要がある、ということ。
本当に自分が事実誤認をしているのか。
あるいは、大阪人に特有の「ボケとツッコミ」の類なのか。
自分のちっぽけなプライドを守るよりも、それらを「冷静に」受け入れること。アマチュアであっても、これが非常に重要だ。
さて、私のブログ・サイトには、「しょっちゅう登場する人」というのが何人かいる。それは、それだけ激しいツッコミを入れてくれる、ありがたい存在である、ということだ。
私が特に対抗意識を燃やし、ツッコミを入れられない記事を書こうと頑張った相手は、S先生という人だ。
S先生は、単なるツッコミ好きな人というだけではなく、医療情報をたくさん提供してくださったことも、書き加えておく。「一銭の得にもならないのに、よくこれだけ・・・」と思うほどだ。これは、K先生も同じで、素人だからと馬鹿せず、本当に丁寧にさまざまなことを、解説してくださったものだった。
私はK先生がおっしゃるように、メニエール病の手術について「知らない」という人に、役立つ情報が書きたかった。
S先生に絶対にツッコまれない、ぐぅの音も出ないような、「すげぇ!!」と言わせてしまうような記事を、書きたかった。
医学のプロであるK先生、S先生に、医学の知識で「敵う」はずはない。そんな面で張り合おうとは、思ってなどいなかった。ただ、「敵う」部分を、いつか自分の中から見つけて、お二人に「敵う」ようになりたかった。
それだけが理由ではないが、私は文章を書くプロになった。
そのとき、自分にとって価値観をひっくり返すような、自分の見てきたもの、聞いてきたことが全部信じられなくなってしまうような、重大な出来事がたくさんあって、疲れきっていたのは事実だ。おそらく判断力がなくなっていたのだろう。私は、ある方のお誘いに簡単に乗っかってしまったのだ。
気のきいた文章を書ける人は、世の中に山ほどいる。だからこそ、文章力よりも営業力・経験・得意分野・納期を守る、といったことに特化していなければならない、という傾向もある。たとえば「誰もしたことがない経験をしている」ということは、文章が多少荒削りであっても、荒削りの部分をカバーする要素となりうるのだ。
仕事で書く文章は「他人のためのもの」であ、「自分の書きたい文章を書く」のは、趣味でしかない。自分が主な発信源となるのは趣味であり、「他人の発信したい情報を、受けとめ、加工し、中継し、黒子に徹する」のが仕事だ。「受けとめ、加工」する段階で、様々な情報、技術を自分の中に取り込んでいく、いわば職人芸という部分もある。
さて、K先生、S先生のお二人に「敵う」という夢が叶ったかというと、まだまだもっと努力の余地があると思っている。
S先生にツッコまれない記事を、このブログで書けたかというと・・・、文章ではなく、トレーニング方法の写真を公開した際に、一度だけ褒めてもらった事があるが、文章そのもので「すげぇ!!」といわれたことは、まだない。
「メニエール病の手術について、分かりやすい記事が書けたか?」というと、まだまだ努力の余地があると言わざるを得ない。メニエール病で現在、苦しんでいる人がいるなら、「きっと希望はある」ということを伝えたいと思う。
私はメニエール病以外にも、正直いってうんざりするほどの治療、投薬を受けている。メニエール病の経験があったからこそ「何が何でも治癒を目指すよりも、共存するといいのだ」という考えを持ちやすくなったと思っている。
そうやって私が生きていくことで、誰かが「あんな風に生きたい」とおもってくれること。そういう人が、1人でも増えるように、生き続けていくこと。それが、K先生との約束だ。
そして、自分の文章によって、いつかS先生に「すげぇ!!」と言わせること。「きっとやっていけるよ、と後押しをして良かった」とS先生に思ってもらえること。これは私の意地だ。
自分の見てきたものが、それまで通りに見えなくなり、聞いてきたことが、それまで通りに聞こえなくなった中で、たった一つの拠り所となった思い。
プロを生み出したプロに、胸を張れる生き方をしたい。
その思いが、今でも私の支えとなっている。
二人の先生との約束は、将来どんなにしんどくなっても、つらくなっても、決して破ることのできない永遠の約束であり、そして、永遠の目標でもあることを、ここに記しておきたいと思う。
もちろん、他にも多数、お世話になった人がいることは事実であり、決して感謝の気持ちを忘れてはならない。その中でも、今日の文章では特に、K先生、S先生に、感謝をささげさせていただきたい。他の方々にはまた改めて、感謝の気持ちを述べさせて頂きたく思っている。
K先生、S先生、ありがとう。
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