書店へ行った。どうしてもすぐ読みたい、という書籍があり、隣のマクドナルドで開封して読むことにした。
読み漁っている途中で、店員さんが勤務時間を終えたらしく、スタッフルームのようなところから、出てきた。それは、ものすごく綺麗な男性店員さんだった。それだけなら、綺麗な人だなぁで終わるのだが・・・。
私は100円のコーヒーしか買っていなかったので、書籍・雑誌の読みたい場所をとりあえず読んでから、マクドナルドを出た。すると、先ほどの綺麗な店員さんが、駅前で人待ち顔で、佇んでいた。どういうわけか「綺麗」というレベルではなく、「めちゃくちゃ綺麗過ぎて、人を惹きつけるオーラを発生している」という感じに見えた。
このとき、私が以前に思ったことを思い出した。それは・・・。
「長く付き合い続ける人ほど、第一印象より、第二印象、第三印象・・・が深くなっていくものだ」ということ。実際に書いたことがある。
第一印象が強くても、長く付き合いが続かない相手、というのは存在する。逆に、「初めて出会ったときの印象が、それほど強くない」という人でも、その後、次々に新しい顔が見えてきて、長い深い付き合いに発展する、というケースもある。
また、物理的な距離が離れてしまっても、縁がある相手とは、再会できるケースがある。今日のマクドナルドではないが、かつて、よく行っていたファーストフード店に、最近、偶然立ち寄ったところ「久しぶりですね」と言われて、驚いたこともある。物理的に、そのお店に頻繁に立ち寄ることが、難しくはなっているけれども、今後また、お店に行けるといいと思う。
距離を埋めようと、躍起になったところで、縁がないと埋まらない。たとえば、今日の綺麗な顔の店員さんにまた会うためには、彼のシフトをチェックして、その時間に頻繁に訪れるということをすると、再び会えるかもしれない。ただ、縁がなくて、相手が好意を持っていないと、そういうストーカーのような行動は、気味悪がられるだけだ。また、今日は土曜日なので、学生のバイトの方だったら、土日しかお店に出ていない、というケースもあるだろう。私は土日に資料の買い出しをすることが少なく、そういう意味では、また会えるかどうか不明だ。
自分はどちらかというと、「再会の縁」のようなものがあったときに、本当に嬉しく感じるほうで、「この人とは、縁があるんだな」と強く思う。おそらく「再会の縁」というのは、第二印象、第三印象・・・、ということだからだろう。
私がものすごく弱っていたときに、知り合った人がいる。「ふゆうって、大丈夫なの?」という印象を持たれていた。最近、再会した際に「あぁ、この人が、大丈夫なの? と思うのは無理はない。これから自分が、大丈夫なところをたくさん見せて、その人の第二印象、第三印象を変えていくしかないんだな」と強く感じた。「再会の縁」がある、ということは、その人に「もう大丈夫だよ」というメッセージを伝える機会があるということだ。それがとても、嬉しかった。
昨年の4月からお世話になっているお医者さんがいるけれど、私はその先生を、以前からものすごく「ファンだファンだ、素敵だ、かっこいい、最高だ」とわめいていた。今考えれば、目の前の主治医の先生を通り越して、わぁわぁ言っているのだから、とても失礼な話だと思う。ごめんなさい。
しかし、「ファンだ・・・」を堂々と言えるのは、やや遠い位置にいるから、ということがある。本当に目の前に連れていかれる機会があったら、その場で「普段通り、ファンだ・・・、って言いなさい」と言われても、言えないだろう。言う機会が無いと思っていたから、安心して騒いでいたという面もある。
ところが、様々な事情があって、本当にその先生に担当してもらうことになったときに、再会の縁というのを感じた。私は「長い間ファンでした(勝手にわめいていて、ごめんなさい)」と言ったが、まぁ信じてもらえたかどうか・・・。変なやつだと思われたんだろうな・・・。
先生と、今日の綺麗な店員さんとは、まったくタイプが違うし、立場もまるで違う。だけど、大勢の人の中でも、この人だけは目立つ、という感じがある。その部分だけに、レンズのピントがあってしまっているような、不思議な感じがする。
今後も、その付近の書店には行くことが多いだろう。そのたびに、綺麗な店員さんのことを思い出すだろうし、もしかして会えるならと思って、マクドナルドに入るかもしれない。こうして、マクドナルドは常連客を一人ゲットしたのだな。。。
本当に綺麗な人だったな。
自分もどこかで、そんな風に見られているといいな。
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