今日の文章は、普段の受診日記とは調子が違うかもしれません。
婦人科のT先生のところへ行った。
月経のサイクルでいう8日目、17日目、25日目に喘息発作になってしまう、あと5日目に心身両面での不調(パニック発作になったり、胃痙攣を起したりしてしまう)が起こることがある、と話した。もしも、その不調が続いたり、爆発的に悪くなったりすることがあれば、ホルモン剤をもう一回使うかな、という話をした。
自分としては、現在の状況がどんなものであっても、たとえば胃痙攣がなくなったり、パニック発作がなくなったりする状態を、同時に生きて比べてみることは、できないので、「良くならなくても、悪くならないならいい」という思いがある。これは諦めという意味にとられるかもしれない。
自分としては「ある」っていう状態が、自分の一部みたいになっていて、初めからそれを想定して、物事の予定を立てているので、「なく」なったらどうなるか、というのが、予想できない。
T先生と話していると「人間の瞳というのは、これほどまでに優しいものかな」と思う。自分が弱っているときには、相手の瞳を見つめて話すことは、できない。自分の視線が、相手に嫌な感じを与えているんじゃないか、と不安になることが多かった。
人間の瞳というのは、夜というものの優しさに似ている。日本人であるため、周りに黒や茶色の瞳をしている人が、おおかった。だから瞳の色というのは、なんだか夜とか、闇を切り取った色のように、見えていたのかもしれない。
夜の優しさというのは「何もしない」ということだ。昼の明るさ、様々なものが自分にアピールして来る、キラキラとした希望あふれる時間とは違い、夜には、安心感・安堵感・明日を待つ気持ちなどを含んだ、優しさがある。
こうして、他人の瞳の中に優しさを見つけながら、やがて自分の瞳にも、闇を抱え込んでいるだけではない、様々な感情がこめられていることを、少しずつ思い出して、自分を取り戻していくのだろう。T先生だけではなく、ツッコミは鋭いが口調は優しいK先生や、ポンポン弾む勢いのある言葉を話すS先生の瞳にも、優しさが含まれていることを、いつからか感じていたように思う。だからこそ、様々な秘密の話を打ち明けることができた。
今日も夜が来る。優しい夜がきて、哀しいこともつらいことも、そっと包み込んでくれる。
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