たとえば、テーブルに並びきらないほどの料理も、「お腹いっぱい」までしか食べることができない。
食べられなかったものは、自分の中に取り込むことはできない。
広すぎる家、ありすぎる仕事、使いきれないほどのお金……。
それを受け入れられるだけの器がなければ、受け入れられない部分が増えてしまう。
私が「こんなことがあって苦しかった」「こんな思いをしている」と訴えたとき、それを理解してくれる人には、それだけの器がある。
でも、私にも感情や思いがあることを認識できない人に、「こんな思いをしている」と訴えても、届かない。
そもそも「認識」が行われていないのだから。
私は自分の器がそう大きなものではないことに、気付いている。
自分のキャパシティを超える出来事があると、苦しくて悲しくて胃が痛くなる。
だから、私は自分の器を広げたい。
私に事情や苦しさ、つらさ、そして喜びや楽しみがあるのと同じように、他の人にもそれらがあることを、受け入れられるようになりたい。
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