昔から
「体調が悪くなるのは、自分のなまけたい心が反映されているのだ」
と思いやすい。
いや、実際に熱が出たり、咳が出たり、おなかを壊したり、そういう体調不良があって、それらはウイルスに感染したり、疲れたり、月経の影響であったり、そういう身体的にちゃんとした理由があってなることだって、分かっている。
でも、
「ここまで、症状が長引くのは、私のなまけたい心があるからでは?」
「病気に逃げ込みたい心があるからでは?」
と思いやすい。
でも、一方で
「体調が悪くても頑張っている私を認めて」
「頑張っている事実を認めて」
っていう気持ちもまた、強かったように思う。
そういう人間になったのがいつからか、思い出せないんだけれど。
ただ、自分ではおぼえていないけれど、私が幼稚園に入園して初めての冬から春にかけて、長く欠席したことがあると聞いた。
症状を聞くに(そして後の自分の病歴を振り返ると)、おそらく自家中毒だったんだろうなと思う。10歳くらいのときに、何度か自家中毒と言われてブドウ糖注射を受けたことがあったし。
幼稚園のときではなく、10歳のときの症状を思い出そうとすると、
「またなの?」
という気持ちがわいてくる。
これが、自分の気持ちであると同時に、周囲の大人の気持ちを感じ取っていたことも、自分なりに今はわかる気がするのだ。
幼稚園に通っていた時の記憶が、まったくないわけではないけれど、「自家中毒らしい症状で長く休んだ」という事実は全くおぼえがなくて、不思議な感じがする。
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