心がメニエール病のことで一杯になってしまったら、他のものが入ってくる余地がなくなる。楽しい話を聞いても、それを「楽しい」と感じる余裕がなくなってしまう。悲しい話を聞いても、共感し涙を流すということが、できなくなってしまう。
だから「心までメニエール病にならないようにしよう」と決めた。
人間は「曖昧な状態」では弱くなり「決める」ことができると強くなることができるように思う。たとえば「今から夕飯を作る」と決めたら、たとえめまいや耳鳴りが強くても、なんとか作ることができる。でも「今日は夕飯作ろうかな、それとも誰かに家事を代わってもらおうかな・・・?」と迷っていると、弱くなる。サボってしまう事だってある。
それと同じ。「心まで病気に奪われないようにする」と決めたら、本当にそうなった。
先日「病気の人との付き合いをしたくない」という考えの人から、絶縁メールをもらった。以前の私だったら、そういう人にどう接していただろう。取りすがり、纏わりついてでも、その人の考えを変えてもらおうと、必死になったかもしれない。
でも今は、不思議と落ち着いている。
「そういう人がいるのが、現実というものだ」って、思ってる。
その人に取りすがり、纏わりついてこっちを向いてもらいたくなるってことは「私の心がメニエール病を意識しすぎている」ということだと、今なら分かる。
たとえば「背の高い人が好き」「背の低い人の方がいい」「同じアーティストを好きな人がいい」「違うアーティストを好きな人と情報交換がしたい」「メガネをかけている人がいい」「化粧の薄い人がいい」など、人に対する好みというのは、様々だ。
それと同じレベルの話とするのは不謹慎かもしれないが、それでも「病気の人は嫌い」っていう人がいても、仕方ないのかもしれない。「病気の人は嫌い」っていうと「ひどい人ね!!」って言われるけど、「外見が嫌い」って言うのと変わらない。むしろ「外見が嫌い」って言われたら、なんかもう立ち直れないけれど、病気だったら「治す」っていう手段がある。
心までメニエール病にならないようにしよう。心をメニエール病で一杯にしないようにしよう。
そうして、世界にはたくさんのステキなものが溢れていることを、もっともっと感じていこう。
[0回]
PR