「メニエール病を再発させてしまったらしい」と書いたら、多分、これから内リンパ嚢開放術を受ける患者さんを、がっかりさせてしまうだろうと、よく分かっています。
ただ、内リンパ嚢開放術を受けても、ほかにどんな治療をしても、こういう無茶な生活を送ることで、治療の成果を台無しにしてしまうのだ、ということを書き残し、伝えておきたいと思います。
再発させてしまったことは、
すべて私の間抜けさ、自分の耳はもう大丈夫という過信が原因です。
再発についてお話しするには、まず私の母方の祖母の介護について、ある程度お話しなければなりません。
私の母方の祖母は、足腰が悪く整形外科へと通院をしておりました。整形外科の先生は優しくて、送迎もしてくれるので、祖母は通うのを楽しみにしておりました。
祖母には「一家の主婦は私だ」というプライドがあったらしいのですが、ここ数年ほど、火の不始末、水道を止め忘れる、電話をかけた後、受話器を外したまま、などが見えており、フォローする私も疲れ気味ではありました。
また、人と話した内容を忘れてしまうことがあって、言った言わないの騒ぎが喧嘩に発展することもしばしばありました。特に困ったのは、金融機関の人との「言った言わない」「聞いた聞いてない」というトラブルが起こりはじめたことでした。
また、足腰が悪くて「頭では食事の準備をしなければ、掃除洗濯をしなければ、と思うが、現実的にはできない」ということが、随分と祖母をイラつかせていたようでした。
ここ数年、料理をしていても、掃除洗濯をしていても、口を出してくる祖母にイラつきながらも、「祖母の気持ちも分かるから」と言葉を飲み込んでしまっていました。
私は基礎体温表に、できるだけ体調の記録と通院の記録を残すようにしています。そして同時に「精神的にショックだった出来事」があるかどうか、を書き、卵巣の機能への影響を、後から検討できるようにしています。
その記録によりますと、2008年7月10日に「祖母のことを一人で見るのは、もう限界だ」と両親に訴えた、ということが書かれてあります。
[0回]
PR