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普通の日はないんですか!?

「大きな波に流されるのでも、逆らうのでもなく、波に乗って進みなさい」と、教えてくれたのはあなたでしたね。

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生の実感をくれるもの

ふと、千石荘病院とその裏庭にいた猫たちのことを思い出した。
跡地はどうなったのか調べてみたところ、社会福祉法人による利用が決定したのだとか。

千石荘病院等跡地利活用事業の募集及び審査の結果について

「アニマルセラピー」という言葉は、自分の思い出と重なるところがある。

千石荘病院には、肺結核だった祖父がお世話になった。
見舞いに行くと、窓から裏庭が見えた。
そして、サッシ1枠につき猫1匹という感じで、ずらーっと猫が並んでいるのが、なんとも面白かった(推測だが、餌を与える人がいたのではないだろうか?)。
猫を飼ったことはないけれど、彼らの愛嬌のあるしぐさを見ているのは、確かに楽しかった。

結核患者の家族には、保健所から「感染していないか検査を受けるように」という案内が来る。
私と弟はまだ10代だったので、初めのうちはかかりつけの先生にツベルクリン反応を診てもらい、数年後からは保健所でレントゲンを撮ってもらったおぼえがある。
やがて「大学の健康診断などでレントゲンを撮るなら、保健所には来なくていいよ」と言われた。

祖父が喀血するようになって、救急車を呼んだとき、救急隊員の方は優しかったし、いつでも呼んでくれていいと励ましてくれた。
そして、血液を掃除するときの「ぬるり」とした感覚は、他では決して味わえないものだ。

私にとって、それらの経験は生活の一部であり、その部分を外せば、自分の10代、20代の思い出が、空虚なものになってしまう。
かと言って、友人に気軽に言える話ではなかった。
祖父の気持ちを考えても言えないし、友人も受験などがあるときに、「祖父が血を吐いて」なんて聞かされたらたまったもんじゃないだろう。
だから、誰にも言わないという選択は、それでよかったのだと今も思っている。

さて、20代も後半に差し掛かり、今度は祖母の介護をしていた時のこと。
何かのきっかけで、血液が手についたことがある。

そのとき、「あぁ、昔味わった感覚が戻ってきた」という気持ちが、すごく強くなった。
喜びとか興奮というものではないけれど、強いて言うなら「かつて自分は生きていたし、今も生きているという実感」のようなもの。

それからしばらくは「血が触りたい」「血が見たい」という気持ちが強くなって、困ったものだった。
そんな自分がおかしいのではないかと不安になり、精神科の先生に相談したこともある。
でも、そういう自分を受け止めてくださり、(その人に迷惑をかけないために詳細は伏せるが)感染症などの心配がない血を触らせてくれた人や、「血ではないけれど」と手術の手技を画像で表現した本を見せてくれた人もいた。
私自身が内臓の検査を受ける時には「『内臓を見られる! わくわく!』って思ってるやろ(笑)」といまだにからかわれる。
そして、その人たちのおかげで、今は放送大学で臨床系の授業を興味深く受講できるのだと、感謝している。

千石荘病院でのどかに流れていた時間と、かわいい猫たちの姿。
それと同じくらい、血液の感触や内臓のイメージというのは、私にとって生の実感をくれるものだと感じている。
まぁ、一般的に「10代のとき触れた血液の感触が、今も忘れられない」という言い方をすると、怪しい意味に受け取られることがほとんどだと思うので、このような膨大な説明が必要となるのだけど。

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