この本は、仙台のクライアントからお贈りいただいたものです。
ニュースなどで取り上げられる「復興への大きな枠組み」ではなく、もっと一人一人の生活に密着し、取材された様子が伝わってくる物語です。
1995年、阪神淡路大震災が起こった際、淡路島の(当時)北淡町に住む親戚の家は全壊しました。
生き残った親戚は、
●ビニールのゴミ袋は、あればあるほどありがたい
●初めは主食(ご飯やパン)が必要だが、少し時間が経つと、果物の缶詰やふりかけなんかが欲しくなる
と話してくれました。
そして、2011年の東日本大震災。
宅配便業者が事業を再開し、輸送ルートが確保できつつあるという時期になってから、私は仙台のクライアント、そして福島県に住む親戚に、家にあったゴミ袋や果物の缶詰、非常食にも使えるとされたクラッカー等を、可能な限り送りました。大阪の消費者の方に迷惑をかけていいことにはならないので、あくまで買占めなどは行わず。
その当時、私の身内が総胆管炎で入院中。諸事情により弁護士さんに相談している事案もあり、私自身も初めてのBPPVを経験して一気に体重が減り、今思えば大変な時期でした。しかし、仙台のクライアントとは、それ以前から良いお付き合いが続いていたため、少しでも役に立ちたいと思ったのです。
後にこの本を、わざわざお贈りいただいたときには、本当に感激しました。
そのクライアントは、震災から数日以内だったと思いますが、私たち外注スタッフに向けて
●仙台市内に親戚がいらっしゃる方、安否確認の必要がありましたら、当社スタッフが市役所まで行きますので声をかけてください
●プロパンガスが残っていますので、お湯などが必要な方を、当社まで案内してください
と声をかけてくださり、私たち外注スタッフも支えられていたのだと、ありがたく思います。
今年も1月17日が近付いてきます。地震により、この世から旅立った北淡町の親戚が、天国で心配をしないように、生きていかなければならないと、改めて思います。
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