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普通の日はないんですか!?

「大きな波に流されるのでも、逆らうのでもなく、波に乗って進みなさい」と、教えてくれたのはあなたでしたね。

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その人が勢いを緩められるように

先日、なじみの深い方から「○○を、□□日までにお願いします。少しでも早く上げてくれると助かります」という発注があった。

□□日という設定が、その人の普段の設定と比べて短納期だし、「少しでも早く」という言い回しが、その人にしては「ぴしゃっ」と決め付けるような感じがあって、やや違和感をおぼえた。幸い私にも割ける時間があったので、□□日の数日前に仕事が完了し、納品をした。

納品完了のメールと入れ違いで「意見を聞かせてください」というメールが来た。このメールのタイトル(実際は少し変えているのですが)にも、何が起こったのかと感じた。

こういう「あり得ないことが続く時」というのは、何かその人が抱えきれない事態が続いている。昨年末に「駆け込みの依頼が多くて、さばききれないほどで、リクルート活動の余裕すらない」という状況があられたときに、メールの一通一通の印象が変わったことがある。一通だけではなく、何通も変わったものがくると、忙しいんじゃないか、大丈夫なんだろうか、と心配になったことがあった。

ただ、その人が困ったときに、自分を思い出してくれたことは、ありがたいと思う。それに、納品完了のメールと入れ違いに、その人のメールが来たことにも、なんだか「縁があるんだな」という感じがする。

お役に立てればいいと思いながら、お返事を書いた・・・という結末だったら、このブログの読者の皆さんにもお喜びいただけると思うのだが・・・。

「意見を」と言われた内容が、高度な内容で、むしろ「その人がわからないことを、私がわかるはずがない」と、普段ならツッコミ返しているような内容だった。今のその人には、そういうギャグによる返しは通用しないと思い、どうしようかと真っ青になったっていうのが、本当のところだ。

また、一時的に忙しいというのは、誰もが経験することだけれど、そのような状態を長く続けるのは無理がある。私にできることはするし、前倒しの納品もできるだけ協力するけれど、その人が勢いを緩めることが、いつか近いうちにできるように、と一方で祈っている。

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【企業情報管理士】合格証書が届きました

合格証書はA4サイズ。「優秀な能力を有し」っていうのは、なんか申し訳ないです。私の知っている合格者は「96点得点しました」とかおっしゃっていますが、私は82点だったので・・・。



それと携帯用のカード、ロゴマークのシールもいただきました。
将来のいつかで結構ですので、カードを、写真入にしてもらえたら嬉しいです。



【企業情報管理士試験 受験記】「合格したら治る」と鬼は言う
http://www.mypress.jp/v2_writers/kounokagerou/story/?story_id=1896289

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「途方にくれている私を見ている周りの人」だって、途方にくれているのかも。。。

昨日、喘息の先生のところへ行った。

http://www.mypress.jp/v2_writers/fuyuu_zensoku/story/?story_id=1903340
【引用始まり】 ---
「・・・そういう職業の人に、会ったことがないからなぁ。どういう発想をしはるのか、わかれへん。。。」
「私もわかんない」
【引用終わり】 ---

どうしてか、とてもさびしくなった。
長い長い期間、何でも話せるH先生を、信頼してきた。病気以外のことも相談をしたことも、たくさんあった。

でも、今度ばかりは仕方ない。私だって、もしも「アイドル歌手です」とか「画家です」という人が目の前にやってきて、仕事や人間関係や、創作の上での悩みを相談されたら、何をどうして、どう答えたらいいのか、わからないだろう。

それは、決して、悪気とか、突き放しているとか、冷たくしている、というんじゃない。

ただ「想像もつかない」だけなのだ。

私だって、アイドル歌手や画家などの人に、会ったことがないから。親しく話したこともないから。だから、想像すらつかないのだろう。


これからは私にも、誰かの歩いた道を、指し示してもらえることは、なくなっていく。私が道をつくっていくしかない。途方にくれているのは、私ももちろんだけれど「途方にくれている私を見ている周りの人」だって、途方にくれているのかもしれない。

昔、同じことがあった。信頼してきた人に
「ふゆうのようなケースに出会ったことがない」
「初めて見るから、どうしたらいいんか、わからんねん」
「ふゆうから聞くしか、私たちはわかる手段がない」
「だから『同じこと何度も言わせるんじゃねぇええ』とかキレないで、話してほしい」
と言われたことがある。


昨日、イベリスという花を買った。イベリスはイベリア半島から来た花なのだと、教えてくれた人がいた。スペインは、明るくて、陽気で情熱的、というイメージがあるけれど、スペインの踊りや歌は、明るさの根底に、なんだか物悲しい感じあるように思う。

可愛らしい花を窓辺に飾って「青い空に映えてステキ」と思いながらも、なぜか胸に悲しさが広がっていったのが、不思議だった。


ここからは、一人で進まなければならない。「こうやったら、ある程度、正解にたどり着ける」という地図は、どこにも売っていない。多分、まだ白紙のままなのだ。自分が道を作らなければならない。そのことが不安で、さびしかったのだ。

一人で進むことは、人との信頼関係がなくなるという意味ではない。いつも一緒に、同じ道を歩むことだけが「信頼関係を作る」ことではない。ただ、どんなに遠くへ離れても、心の中心軸に近い部分には、大事な人がしっかり存在していること。それが信頼するということだろう。

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その状況で「自業自得だ」なんて言えないよ・・・

女性の知人が、3月末の異動時に「ほとんど確実に昇進できるだろう」と思っていたようだが、できなかった。

知人は、仕事を主とした人生を歩むあまりに、ご家族のことを顧みなかった。ご家族は既に「知人抜き」の家族の形をつくってしまっている。

今回の異動のことで、がっくりきている知人。今さら家庭にもどってこられても、はっきりいって困るというご家族。

主張が平行線をたどっている。

知人がもう少し落ち着いてからなら、「はっきり言って、自業自得じゃないの?」と言ってもいいとは思うけれど、あまりにもがっくりきている「今の」知人に、そんなこと言えないよなぁ・・・。

ご家族にとっても、「今まで、掃除すらまともにせず、食事だって自分で作ることもなかったのだから、なんで今になって、愚痴にだけ付き合わなければならないの? 都合が良すぎる」というのもわかるし・・・。

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私の中の子ども

幼い頃、アトピー性皮膚炎がひどかった。大きな病院へ連れて行かれて検査をしたり、食事制限を受けたり、子どもにとっては謎の多い生活をしたこともある。

特に苦痛だったのは、夏の制服で登校する時期だった。半そでで日光に当たると、両腕の皮膚炎がつらくなる。真っ赤な湿疹がたくさんできた腕を見せることは10代の若い女性にとって、非常に苦痛だった。

そして、ブラジャーをつけていないことが、夏の制服だとわかってしまう。これも大変な苦痛だった。それなりに胸も出ていて、女性らしい体つきに変わっていっても、ブラジャーをつけることで、皮膚炎がひどくなるので、つけられなかったのだ。

二つの恥ずかしさが理由で、長袖の上着を頑なに脱ごうとしなかった。

このような状態では、つらいのは私だけではない。育ての親である祖母には、イライラすることの連続だったのだろう。私をしかりつけることで、不安を解消していたのだと思う。

「治れへんかったら、どうするの!!」
「そんな汚い顔してたら、嫌われるわ!!」

毎日毎日、これを連発されてたのを、思い出す。
このような言葉を聞くのが嫌で、帰宅拒否症っぽくなったことがある。

これらの言葉は、決して「愛情がない」からではない。愛情の表し方が、うまくいかなかっただけだと、今ではわかる。
子どもだった私は、それを素直に受け取りすぎて「これからどこへ行っても、何をしても、病気が治らない限りは、迷惑な存在なのだ」という思い込みが生まれていった。

やがてメニエール病の治療を受けるようになり、当初は簡単に考えていた治療は、意外と長引くことになった。「治らなければ、自分は迷惑な存在となってしまう」という思い込みは自分を追い詰めた。
その当時、病気のことだけではなく、生活が大きく変わることになり、「適応できなければ、周りに迷惑をかける」という思いが強すぎた、とも思う。学生でも社会人でも、「周りが自分に合わせるべきだ」と全員が言っていたら、社会は成り立たないから、「適応しなければ」と考えることは、ある程度必要だ。私の「適応しなければ」という思いは、おびえにもとづいた、異常に強いものだったのだ。

やがて、精神科での治療を受けることを勧められ、紹介状をいただいてN院長先生のもとを訪ねることになる。

※通常、紹介状に書かれた内容が、本人に知らされることはありません。※
※※※でも、H先生、N先生、ごめんね、もうばらしてもいいよね? 時効だよね?※※※

精神科への紹介状に、主訴とは別に、唐突に「家族との関係に問題があるように思われます」とあまりにもはっきり書かれてあって、N院長先生はびっくりした、と後ほど、自分の精神状態がもう大丈夫だと思われた頃に、知らされた。

時間が経過し、祖母の介護を私がするようになった。正直言って、怒りがあふれてくることがあった。

「私にだって仕事があるんだよっ!!」
「あなたは病気の私を嫌い続けていたのに、自分が病気だからといって私を振り回すのは、あまりにも勝手ではないの?」

私がそれを言えなかったのは「迷惑だ」と言われることの苦しみを、知っていたからだろうと思う。私は年齢が若いから、病気を治す余地がある。幸いにしてすばらしい先生方の治療を受けることができて、病気への受け止め方も、ずいぶんと変わっている。
でも、年をとれば「病気を治して、迷惑をかけなくなる」「考え方を改める」ということは、不可能になってくる。そのときに「あんたは昔、私を迷惑だと言っただろう。同じことを言い返してやる」とは、とても言えなかった。

私の中の子どもの部分(もしかしたらインナーチャイルドと呼ばれる部分かもしれない)が、素直に「嫌われる。迷惑になってしまう。そのことにおびえている」と伝えてきたのは、一昨年から昨年にかけて「メニエール病の再発ですね」と言われ、治療を受けるようになった、その時だったと思う。

介護・看病を「決してつらくない」「まだ頑張れるよ」と笑って言っていたのに、現実的にはメニエール病を再発させるという失態を犯してしまったとき。「これから私は、多くの人に迷惑をかけてしまう」ということが、申し訳なくて、怖くて仕方なく、おびえている自分に気づいた。

これは、おびえている自分を救うための、脳の働きだったのかもしれないが、H先生が精神科を紹介してくださったときの、私への言葉を思い出した。
「誰も、あなたを責めてなんかいないんだよ。あなたを心配しているんだよ」
「心配しているからこそ、こんな状況になっても、いろんな人に気を遣っているあなたが、少しでも楽になってほしいと思っているんだよ」

また、メニエール病のこととは関わらない件で「結婚式に出てくれなかったあなたとは、もう付き合わない」という態度の人がいたこともあって「病気とは関係なく、人には相性というものがあり、縁が切れることも、つながることもある」とも、考えられるようになった。

私はこれから「子どもの私」に、時間をかけてもいいから「あなたは本当の意味で『迷惑な存在』だと言われていたんじゃない」「愛情がうまく伝わっていなかっただけで、愛情がゼロだったわけじゃない」「あなたがつらかった時間を、耐えてくれたから、今の私があるんだよ。だから感謝しているんだよ」と言い聞かせてやりたいと思う。

「迷惑をかけてしまう」とおびえることは、全てが悪い面ばかりではない。「おびえ」をゼロにしようと焦ってしまったら、再びどこかで、何らかの破綻が生じるだろう。おびえをそのまま表面に出すのではなく、「他人に気を遣わせないようにふるまう」という能動的な面を、おびえという影を感じさせないように、スムーズに発揮できるようになれば、良いのだと思う。

そして忘れてはならないと思う。私のためを思って言葉をかけてくださった人の、愛情のあふれる言葉も、私は結果的にはシャットアウトしてきたのだ、ということを。差し伸べられた優しい手は、たくさんあったはずなのに、私の中の子どもの部分に、自分で負けてしまい、感謝の気持ちを十分には返せなかった。そのことは、きっと、多くの優しい人を傷つけただろう。「子どもである」ということは、そういうことだと、今ならばわかるし、これからは、そのことを忘れてはならないと思う。

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