昨日、喘息の先生のところへ行った。
http://www.mypress.jp/v2_writers/fuyuu_zensoku/story/?story_id=1903340【引用始まり】 ---
「・・・そういう職業の人に、会ったことがないからなぁ。どういう発想をしはるのか、わかれへん。。。」
「私もわかんない」
【引用終わり】 ---
どうしてか、とてもさびしくなった。
長い長い期間、何でも話せるH先生を、信頼してきた。病気以外のことも相談をしたことも、たくさんあった。
でも、今度ばかりは仕方ない。私だって、もしも「アイドル歌手です」とか「画家です」という人が目の前にやってきて、仕事や人間関係や、創作の上での悩みを相談されたら、何をどうして、どう答えたらいいのか、わからないだろう。
それは、決して、悪気とか、突き放しているとか、冷たくしている、というんじゃない。
ただ「想像もつかない」だけなのだ。
私だって、アイドル歌手や画家などの人に、会ったことがないから。親しく話したこともないから。だから、想像すらつかないのだろう。
これからは私にも、誰かの歩いた道を、指し示してもらえることは、なくなっていく。私が道をつくっていくしかない。途方にくれているのは、私ももちろんだけれど「途方にくれている私を見ている周りの人」だって、途方にくれているのかもしれない。
昔、同じことがあった。信頼してきた人に
「ふゆうのようなケースに出会ったことがない」
「初めて見るから、どうしたらいいんか、わからんねん」
「ふゆうから聞くしか、私たちはわかる手段がない」
「だから『同じこと何度も言わせるんじゃねぇええ』とかキレないで、話してほしい」
と言われたことがある。
昨日、イベリスという花を買った。イベリスはイベリア半島から来た花なのだと、教えてくれた人がいた。スペインは、明るくて、陽気で情熱的、というイメージがあるけれど、スペインの踊りや歌は、明るさの根底に、なんだか物悲しい感じあるように思う。
可愛らしい花を窓辺に飾って「青い空に映えてステキ」と思いながらも、なぜか胸に悲しさが広がっていったのが、不思議だった。
ここからは、一人で進まなければならない。「こうやったら、ある程度、正解にたどり着ける」という地図は、どこにも売っていない。多分、まだ白紙のままなのだ。自分が道を作らなければならない。そのことが不安で、さびしかったのだ。
一人で進むことは、人との信頼関係がなくなるという意味ではない。いつも一緒に、同じ道を歩むことだけが「信頼関係を作る」ことではない。ただ、どんなに遠くへ離れても、心の中心軸に近い部分には、大事な人がしっかり存在していること。それが信頼するということだろう。
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