3日のこと。精神科の先生のところへ行った。
誕生日おめでとう、って言ってもらうのを忘れた。
↑↑この一行を書きたいために、今日になって3日前の日記を書いた。
工事現場の近くで一時的に設けられているバス停でバス待ち中に、軽くパニック発作になったこと。これは、バスや工事用の大型車輌が、狭い道路に突っ込んでくる感じなので、ちょっと怖いなと思っていたら、そうなった。
他には、日常生活の話をした。
昔々「自分はめっちゃ困った患者だったな」と改めて思った。それは「薬を飲みたい!!」というのとは違って、「薬を所有している」ということに、満足したがる、安心したがる傾向があったからだ。
これは、精神科の薬だけではなくて、例えばボルタレンSRが50錠くらいあるのに「もっともっと欲しい」といった感情が湧くというようなことだ。50錠も一気にもらうことは難しいので、例えば「産婦人科でも外科でも精神科でも処方してもらう」といったことになる。
痛みや不安感が強いと「薬がなかったらどうしよう・・・?」という不安が湧いてくる。それで、たくさんの薬が欲しくなるのだが、痛み止めはたくさん飲むと胃を荒らすというのは、よく知られている。また、抗不安薬は精神依存を引き起こす。
よく考えると、こうした患者にソセゴンを使用してでも、楽にしてあげようと考えてくれた外科のS先生という人は、すごい先生なのかもしれない。ソセゴンは依存性があるので、むやみに連用することは、よくないそうだ。
だがしかし、こうした反省ができるということで、「自分の状態は良くなった」と思うことは、まだまだできないと思う。
一つには「まだ修業の余地がある」と思っているほうが、自分の向上(?)につながるという面がある。だからこそ「良くなった」と思わずに、「まだまだだな・・・」と思っているほうがいいのかもしれない。
もう一つは、現に自分が「酒、飲みたい」という方面に、最近走っていたことがあるからだ。これは、依存する対象が酒に変わっただけで、薬に依存することなどと、心理的なメカニズムは同じのはずだ。
しかし「依存症に陥る人の多くは、性格的に真面目で向上心が強い人」という話を聞いたことがある。すると「まだまだだな・・・」と思い、自分を向上させよう、という考えを強くもちすぎることも、よくないのかもしれない。ちょっとくらい、酒飲んだって、薬に頼ったっていいよね、って思うことが、大事なのかもしれない。
「ちょっとくらい」の線引きを憶えて、実行していくことが、修業ということなのだろう。
思えば自分が、にっこり笑って「ソセゴン打って」といったら、お医者さんもにっこり笑って「まぁ、そのうちな」といってくれるようになるまでに、少々の紆余曲折があった。自分の精神状態が悪いときに、ソセゴンソセゴン言っていたら、ソセゴン中毒に走ることを警戒されていたことだろう。ただ今は「ちょっと性質は悪いけど、まぁ許容範囲の冗談みたいなもの。あいさつみたいなもの」と思ってもらえるくらいには、なったのかもしれない。性質が悪いと思っているなら、言うなよ<自分。
もうすぐ自分は、一つ年をとる日が来る。その日には「色んなことがあったけど、まぁまぁ楽しい人生だった」と思いたいな、って今は思う。ちょっとくらいデパスの必要な日、ソセゴンの必要な日があったって、長い「一生」というものからみれば、きっとたいしたことはないのだ。
そうきっと「誕生日おめでとう」をいってもらうことを、一回忘れたくらいでは、たいしたことはないのだ。長い人生から見れば。
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