素人があれこれ考えただけですので、医学的な誤解、間違いが含まれている可能性もあります。私と疾病利得という言葉との出会いについて、少しお話しましょう。
私の祖母は足腰が悪かったです。そのため「○○を取って」「○○をして」と頼まなければならないときが、多かったです。
頼まれることは別にいいのですが、そのたびに「足が痛いから」といわれることが、私には苦痛でした。何度も聞かされるうちに「要するに、痛いことに同情して欲しいんですか?」という気持ちになったり、あるいは「足が痛くなったのはお前を育てるのが大変だったせいだと、責めているわけですか?」という気持ちになったり。
あまりにも、自分が感じているしんどさが大きくなり、ついに精神科の先生にお話をしたことがあります。
「足が痛い、足が痛いを連発されることで、しんどくなります。私自身のしんどさを押し殺して、祖母に共感すべきなのでしょうか?」
「・・・まずね、お祖母さんに『同情して欲しい』という気持ちがあることは、否めないと思います」
「そうですか」
「それとは別に、『自分でする、ということができない』ということの事情説明をしているつもりも、あるのではないですか?」
「え?」
「自分でできることでも、あれこれ人に頼むって人がいたら、頼まれている側は『自分でやれ!』という気持ちになりますよね」
「はい、なります」
「お祖母さんは、『そうではなくて、本当にできないから頼んでいるんだ』ということを、説明しようとしているという面はあるでしょう」
「あ、なるほど!!」
「まぁ、同情して欲しいという気持ちは、病気にかかる方というのは、ある程度、誰にでもあるんですよね」
「はい。私にもあります」
「大袈裟に症状を訴えることで、親切にしてもらったり、嫌なことをしなくて済んだり」
「はい」
「そういうのを(二次的)疾病利得というのですが、本当の意味での仮病を使っているというのとは違います。本当に身体の具合が悪いのは確かなのですが、それを訴える人、訴えない人など、様々なケースがあります」
「はい」
「私自身がお祖母さんとお会いしたことがない・・・電話は1回ありましたが、それだけなんでね、ふゆうさんの目を通した部分しか見えませんが」
「はい」
「ふゆうさんの『私にも(疾病利得を得たいという気持ちが)あります』と答えたという点、その点がね、お祖母さんにもあるんだということ、ご高齢で色々と弱気になりがちだということを、一度考えてみて、余裕を持って接することが、必要となるでしょう」
このとき初めて、疾病利得という言葉を知りました。
「足が痛い」を連発する祖母を見ていたから、私が「しんどい」「体が辛い」と言うのを、ためらってしまうという面は、あります。あのときの私のような思いを、誰にもさせたくない。誰にも「ふゆうが辛がっているから、辛い」という思いをして欲しくない。その気持ちはあります。
しかし、この気持ちが大きすぎて、無理をしてしまったり、メニエール病を悪化させてしまったり、事情説明が不足したといった面はあると、現在は反省もしています。
素人があれこれ考えただけですので、医学的な誤解、間違いが含まれている可能性もあります。[0回]
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