下記URLの記事のコピーです。
http://www.mypress.jp/v2_writers/fuyuu_no_mimi/story/?story_id=1844069人間は人生を終えるまでに何度か「無償の愛というのは、本当に存在するのか」と考える機会があります。「ない」という結論を出す人、「ある」という結論を出す人。それはどちらも正解で、どちらも間違いである、ともいえます。
ところで、この間ふと、イソバイドの気持ちを分かりたいと思いました。
私たちはイソバイドを手に入れるために、対価を支払っています。だから「効果が上がって当然」という考えを持つのも無理はありません。イソバイドの販売開始年月 1968年6月、メニエール病改善薬としての効果が追加承認されたのは、1988年2月です。これだけ長い間、医薬品として存在し、保険の適用もあるということは、「効果がある」と認められているということです。
しかし、その味の独特さゆえに「メニエール病に対して効果がある」という一番の美点が、時折置き去りにされ、「もうちょっとマシな味にならないの?」といわれてしまいがちです。
イソバイドは、どれほどぼろくそに言われようとも反論できませんし、逃げ出すこともできませんが、それでも不平不満を表明することはありません。
毎日毎日、日本のどこかで(あるいは世界中のどこかで)ぼろくそに言われ続けながらも、段ボール箱のなかで、あるいは冷蔵庫の中で、私たちのことをただじっと見守ってくれているイソバイド。
「ぼろくそに言われようとも、冷蔵庫の中で凍えようとも、私はこの人のメニエール病改善のために役立ってみせる」
イソバイドが人間に向ける愛情は、もしかしたら親が子どもに向ける愛情に似ているのかもしれません。反抗期を迎えた子どもが、口汚く親をののしってしまう。親に対して批判的になる。そんな子どもを家から追い出したくなることもあるでしょう。しかし親はたいていの場合、子どもの反抗を受け止めながら、大人になるのを待っています。
イソバイドもきっと、人間の言葉を受け止めながらも、その人のメニエール病が改善することを、じっと待ってくれているのでしょう。
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