私は「
無限回廊」さんのコンテンツを読んでいたとき、「光クラブ事件」について知った。
ホリエモン騒動の時期には、光クラブ事件との類似点・相違点が新聞等で取り上げられたそうだが、そのような記事は、私は残念ながら未読。
また「ひかりごけ」事件との区別が、一瞬つかなくなる時もあるくらい、私は無知だった。
さて山崎晃嗣は、自身の行動を非常に細かく書き残していたということだ。
なぜ?
彼は、強迫性障害などを抱えていたのだろうか?
私はブログに何かを書いたり、ノートにメモをし、検査のデータなどを蓄積していくことで、自分を客観視できることがある。
自分を突き放して見れば、体の痛みも苦しさも、心のつらさも一緒に突き放すことができて、楽になる。
山崎晃嗣は、巨額のお金を右から左へ動かす狂乱の世界に生きていた様子だ。
そんな中では「自分」の存在、立場を見失ってしまうかもしれない。
彼は「自分」というものを確認するための何かを、見つけようとしていたのだろうか?
それがひたすら、書き続けるという行為だったのだろうか?
これはあくまでも、私の「書く」という行為と比べての推測だけれど。
彼は「自分の頭の良さを確認するもの」としての金融業をとても大切にしていた。
しかも完璧主義者だった。
だから逮捕や取り付け騒ぎが苦痛というより「自分の作り上げた金融業が破たんした」という事実が受け入れられなくて、死を選んでしまったのだろう。
彼にとっては「ビジネス」と突き放せるようなものではなく、「自分が作り上げた、自分に富をもたらしてくれる完璧な世界」が崩壊したと感じられたのかもしれない。
山崎晃嗣の経歴や光クラブ事件の内容について知るにつれ、彼の気持ちをあれこれ想像してしまって収拾がつかなくなる。
自分と似ているところがいくつもあるから。
亡くなっている人のことは、知ろうとしても限界があるけれど、何か彼のことは知りたいと思ってしまう。
彼には、死してなお人を惹きつける何かがあるのだ。
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