邦題が「ボーダー」となった理由は、私の不勉強でわからないのだが、原題の「RIGHTEOUS KILL」をそのまま活かすほうが良かったのでは、と感じられた。
そして、観ているうちにジョディ・フォスター主演の映画「ブレイブ ワン」を思い出した。
両方の映画とも、初めは銃をコントロールしていたはずの人間が、やがて銃の威力を自分の力だと勘違いしていく様が描かれているように思うのだ。
ルースターは、タークを信じすぎた。
自分の信念を曲げることはできても、「タークを信頼すること」は止められなかった。
私にもそういうところがある。
いったん信じた相手のことは、たとえ自分が傷つこうと、ないがしろにされようと、信じてしまうようなところが。
自分の払う犠牲とか、自分の哀しい・悔しい気持ちとかを押し殺してでも、「信じる」ことに価値を見出そうとするところがある。
ただ、それは「自分の生きる道の主導権を、他人に握らせている」ということだし、本当の幸せとは違う。
そのことが分かるようになった今、この映画を観ると
「ルースターは確かに気の毒だけれど、タークがいなくても自分で幸せになれる方法を見つける努力をしなかった彼に、この結末を迎えた責任が大いにあるのだ」
と分かるような気がする。
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